Staff notes

A little new idea that I noticed while snuggling up to the inconvenience of clothes. Then, the staff of carewill will spell out specific surveys and details of their efforts every day.

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介護現場に彩りを。毎日の装いに変化を。TOKYO STARTUP GATEWAY2019挑戦時から応援してくださっている介護施設長・渡邊さんのcarewillに寄せる期待とは

TOKYO STARTUP GATEWAY2019(TSG2019)にcarewill代表の笈沼が挑戦している頃から応援してくださっている渡邊さん。介護ケア業界にお勤めで、現場目線でのフィードバックがとても的確です。そんな渡邊さんのcarewillに対する気づきや期待についてお話を伺いました。 渡邊珠代氏 介護付有料老人ホームに勤務。自身の祖母の入院を通し、関わりが人の症状の進行を遅らせるのではないか、という課題感を持ち、福祉業界へ。施設に入居していても選択肢をなるべく減らさず、楽しく過ごしてもらうことをモットーに介護・介助を行っている。carewillとの出会いは2年前、TSG2019に挑戦する笈沼の同級生の紹介から。以降、多くのサンプルに対するフィードバックや笈沼との意見交換にご協力いただいている。 carewillの想いや代表 笈沼の原体験に共感 ーー最初に笈沼さんと会ったのは2年前、TSG2019の選考が進行していた時期ですね。当時、ケア衣料についての笈沼の思いを聞かれて、どんな感想を持たれましたか。 渡邊さん:笈沼さんのお父さんの介護の経験を話を聞いて、私もまさしく同じ思いで、共感しました。最初はお食事用介助エプロンの話をしていまして、私たちも介護職員として、エプロンをすることで、ご本人も「ここまできてしまったか」というショックを感じていらっしゃる様子を介助中に感じることがあります。私自身の家族に対する介護の経験、介護の現場での仕事での経験、双方の背景、立場からも笈沼さんに共感をしました。 ーー渡邊さんはどうして介護の仕事に携わろうと思われたのですか。 渡邊さん:20代前半の頃に、自分の祖母が認知症になりました。当時は自宅での介護が難しく、病院に入院して笈沼さんの原体験に出てくるような「つなぎの服」を着せられていました。いわゆる身体拘束ですね。 入院後、どんどん症状が進行してしまって、祖母のことが大好きだったので、もっと違う関わりを持てば、認知症の進行を遅くすることができるのではないか、どうしたらいいのかしら、ということをずっと考えていましたし、当時本をたくさん読みました。そんな悲しい原体験がスタートです。自分の身内や友人知人に、自分の仕事を通じた経験や知見でお役に立てるところがでてくるといいなと思い福祉の現場を選びました。 また、もともと人を楽しませたり、驚かせるのがすごく好きな性格なのですね。この性格が人の役に立てるんじゃないかな、という思いもありました。ご本人も、ご家族の方もサポートさせていただくのが介護現場の職員の仕事だと考えて、日頃の業務に取り組んでいます。 ーー渡邊さんは今は施設長としてお勤めでいらっしゃいます。施設には多くのスタッフの方、入居されている方、そのご家族など、多数の方とコミュニケーションを取り、チームでお仕事をされておられます。チームみんながHAPPYでいられるために心がけていることはありますか。 渡邊さん:どこに施設に異動しても言っていますが、とにかく入居者の方に楽しく過ごしていただくことを大切にしてほしいと思っています。職員も楽しく過ごしてもらえれば、人間関係をうまくいくと信じています。「とにかく楽しく!」がモットーです。 入居者の方の生活に彩りを、渡邊さんのこだわり ーーこれまでのお仕事の中で、ケア衣料について考えたこと、いわゆるケア衣料を使用しながら「もっとこうなればいいな」と感じたことなどがありましたでしょうか。 渡邊さん:更衣介助の中で、着せにくいもの、素材や伸縮性など要因は様々ですが、介助の際にすごく神経を使っていました。一般に販売されているお召し物を入居者の方はお持ちになられますが、介護側としてはそれによる苦労が多かったりします。麻痺をお持ちの方の更衣介助の際に、お持ちいただいた際にはジャストサイズだったものでも、時間が経つにつれ、洗濯乾燥で縮んでしまい、どう着せて差し上げるか苦労することがあります。 それに対し、先日見せていただいたcarewillのサンプルは、ゆったりしていて、伸縮性のある素材なのでいいなと思いました。伸びる素材が介護現場の方にとっては介助しやすいですね。また、こちらが着せやすい、ご本人に負担の少ないお洋服を選んでしまうと、着られる服が限られてきてしまい、気の毒だなと思うことも多々ありました。ご家族の方に、お召し物のリクエストは随時お伝えしますので、また新しいものを購入してきてくださいます。 しかし、もともとおしゃれなご本人が、施設にも色々なお召し物をお持ちいただく中で、ずっと同じものを着ていただかないといけないのは、介護する側にも「もう少しどうにかできないかな」という気持ちになるのです。 ですので、私が担当させていただく方は、小物を使って毎日何かしらのアクセントや変化を出すようにしていました。例えば、女性の方はスカーフをお持ちになっていれば、今日はキャビンアテンダント風、と首に巻かせていただいたり、頭に巻いてヘッドアクセとして使ったりします。 ーーご本人はとても嬉しいですね!同じように小物使いで入居者の方のおしゃれに工夫をされている職員の方は、他にもいらっしゃいましたか。 渡邊さん:お召し物を通して、先ほどのように小物でアクセントや変化をつけて差し上げると、ご本人にも笑顔がみえるんですよね。夜勤明けの起床介助の際に、今日はこれを着ましょうね、とお声がけをします。私は着せやすい服に限定せずになるべく色々な服をお召しいただいていましたが、それにプラスして「今日はこの小物を使ってこんなファッションにしましょう!」とご提案して介助していました。そこまでやっているのは私だけでした。 ただ、同じ思いをお持ちの職員の方はいらっしゃるので、今日はこんな小物を使ってみましたよ、という事例の共有や、マネジメント側になってからは、職員に対してなるべく毎日違うお召し物を着させてあげてくださいね、と指示を出していましたので、職員の中には対応してくれる方もいます。 ーー小物使いはおしゃれ上級者が楽しむイメージです。ご本人もおしゃれを楽しめて嬉しい、渡邊さんみたいに楽しんで選んでくださる方がそばにいてくださることって素敵ですね。 渡邊さん:入居者の方は、意外と首元が冷えやすいんですよね。特に夏場は冷房が室内で効いています。じっと座ったりされていると冷えてくるので、肩の周りは冷やさないほうがいいので首元を巻いて差し上げました。 私自身も結構楽しんでやっています。介護職員の方は業務も多いですし、時間も限られていますので、遊び心やこうして差し上げたいと考える部分が後回しになり、飛んでしまいがちです。ですので、私たち施設管理者は、職員の方々に、そういう部分にも気づいて、自分も楽しみながら入居者の方のためにプラスαの遊び心や、日々の変化を取り入れていただくような仕組み、マネジメントを行っています。 今、勤務先で進めているのが「入居者の方の願いを叶えるプロジェクト」です。例えばマニキュアを塗って装う楽しみを味わっていただくなど、ご本人が「何をやりたいか」をお伺いして、施設内でできる企画をします。「旅行に行きたい」方にはオンラインの画像、ストリートビューを使ってまるでその場所にいる気分を味わっていただいたり、「おいしいものを食べたい」とおっしゃる方には、ネットでお取り寄せをしてみましょうか、というご提案をしたりなどですね。スタッフに楽しんでお仕事をしてもらえるように、入居者の方にも楽しんでワクワクしていただけるようにサポートしながら企画を考えています。 ーー施設長自ら企画をされるのですね。びっくりです。 渡邊さん:もともと、サプライズやワクワクする企画を考えるのが大好きなんです。以前いた施設でも、デイサービスでは色々なことを提案してやっていました。例えば「変身」シリーズで、ヘアカットとともに、私の手持ちのアクセサリーを全て持ち寄り、施設内で写真撮影をしていました。 女優ライトも買いたかったんです、ライトをあててメイクができると気分が上がりますからね。でも、予算の都合で女優ライトの手配はできませんでした。今ならオンライン会議用にライトを購入して、撮影のときにも使えるかもしれないですね。 ーーとにかく人と接し、人の心を読み取り、寄り添うお仕事ぶりですね。渡邊さんを指名して施設に入られる方もいらっしゃるのではないでしょうか。福祉業界には指名して入居してこられる方は多いのでしょうか。 渡邊さん:特にデイサービス、通所介護では、ファンが増えると利用者の方が増えると言われています。知人から介護についてのご相談を受けることもありましたし、私がいるからと施設を選んで入居してくださった方も過去にありました。実は娘も、道を歩いていると高齢者によく話しかけられるそうなのです。話しやすい、会いたいと思われる何かがあるのかもしれませんね。 身体の変化によって、着られる服の選択肢が減るストレスへの原体験 ーー高齢者の方も、この人と話したい、会いたいと思えば外に出かけたくなりますものね。ところで、渡邊さんご自身がこれまでにお怪我などで服の不自由を感じたことはありますか。 渡邊さん:ヨガによく行きますが運動が好きなのですね。過去にエアロビクスの大会に出場中に、右足の肉離れをしたことがあります。ブチッと音がして肉離れしたのに、最後まで踊りきりました。でも、その後は歩けなくなって帰り道がとても大変でした。途中までは同じチームの方の車に乗せてもらい、そこからはタクシーで帰宅したら家族に笑われました。休日だったのでアイシングして過ごし、翌日、患部をみてもらって、サポーターで固定していましたが、足がつけないのでとても大変でした。職場でも笑われましたね。ひどい割には、症状がひくのも早くて、肉離れ後1ヶ月以内にはスポーツジムやヨガには復帰していました。 肉離れ当初はがちがちにテーピングをしていて、落ち着いてきたところでサポーターに切り替えました。毎日整骨院に通い、電気を流し、テーピングをしてもらいながら、仕事もちゃんとやっていました。職場に車通勤をしていたので、ヒールのない靴を履いて通い、左足でなんとか歩く日々。施設利用者の方からとても心配されたり、笑われたりしましたね。当時は足が腫れてしまっていたので、ゆったりめのパンツしか履けなかったですね。新たに買い足したものはなかったですが、服の選択肢が少なくなったことにストレスを感じていました。 ーー以降はお怪我もなく運動を楽しみ、お仕事に邁進されていらっしゃるのですね。 渡邊さん:実は、肉離れの後に右足を捻挫したことがあります。仕事の電話を受けながら階段を歩いていたら落ちました。回復までに1ヶ月ほどかかり、そのときも整骨院に通いました。通常、足首を捻挫すると固まってきてしまいます。私は回復後にまたヨガを再開して患部も動かしていたので、今では怪我をする前と同じくらい可動域があります。このときも、サポーターを巻いていたので、細身のパンツなどは履けず、服の選択肢が減ってストレスを感じることはありました。着脱行為に苦痛は感じなかったですね。少しでも怪我をすると本当に不自由なのだな、この部分はこんなときにも使っているのだな、と怪我をして初めて気がつきます。やはり健康一番ですね。 同じ「ケア」に異なる方向から関わるcarewillから受ける刺激と寄せる期待 ーーこれまで2年間、carewill、そして笈沼さんのことをずっと応援してくださっている渡邊さんがなぜずっと応援してくださっているのか、背景にある想いなどをお聞かせいただけませんでしょうか。 渡邊さん:笈沼さんの想いやアイデアに共感ができること、笈沼さんの人柄ですね。笈沼さんはとても真面目で、きちんとされています。TSG2019のファイナルを見に行ったとき、私自身すごく刺激を受けました。介護に関わる仕事、ある意味同じフィールドですが、異業種の笈沼さんのお話を聞いていてすごく面白かったんですよね。私たちは介護の現場で生きていますが、同じ「ケア」でも違うアプローチを取っているcarewillの話を聞くのは刺激になり、ワクワクします。 TSG2019のときに見せていただいた入院着は、病衣なのに、おしゃれだな、普段でも着られそうだな、という印象がありました。笈沼さんのお母様が作られたケープも、普段でも使えそうだなと思いました。それぞれのサンプルに対して、介助する立場から、この紐はもっと短くしたほうがいいな、等のフィードバックをさせていただきました。 ーーずっと応援していただいていますが、逆に、carewillが渡邊さんのお勤め先や、入居者の方やそのご家族のお役にたてることはどんなことがありますでしょうか。 渡邊さん:先日届いたサンプル(カスタムオーダーシステムの開発中の製品)を見て、施設の職員が大絶賛していました。できれば上衣だけでなく、下衣もほしいね、と話していました。介護の現場で働く職員は、入居者の方にもっと色々なお召し物を楽しんでいただきたいという気持ちはあります。一方で、バルーンや点滴などのつながっている管はなかなかお召し物の中を通すのが難しいですよね。管を通す向きや角度によっては、身体に影響が出てしまうこともあります。ズボンだとしても、バルーンやカテーテルを装着していても着脱が楽なものが必要ですし、スカートもあったらいいという意見も出ました。 現在はパジャマのような病衣しかないですから、その選択肢の中でなんとかするか、浴衣のように巻くものをベッドでお召しになられている場合も多いです。そうなると、今度は入居者の方が施設ないでお食事に行かれる際に「部屋を出たい」という気持ちにはつながりにくいです。介助する際にお互いが円滑に、負担が少なくお召しいただけて、ワクワクする服の選択肢が本当に少ないです。ですので、carewillが作れる、可能性を広げられる製品はもっと多いと思います。介助する側は着せやすく、ご本人は選べる自由がもっと広がるラインナップが広がることに期待をしています。carewillは見た目がパジャマじゃなく、おしゃれなのもいいですよね! ーーすぐには叶えられないかもしれませんがぜひ、引き続きcarewillへのリクエストやインプットを現場視点でいただけると嬉しいです。また、ここまでいただいたご意見は、介護現場の職員の方のフィードバックでしたが、おそらく在宅介護でご家族をみておられる方も気付かれている可能性がありますよね。さらに、施設にご家族を預けておられるご家族の方にも、ケア衣料の価値についてもっと知っていただく機会があるといいなとcarewillは考えています。 渡邊さん:コロナウィルスのワクチン接種が拡大すると、おそらく少し先の時期に施設内でのご家族の面会が増えてくるでしょうね。その際に、お手に取れるケア衣料のサンプルやカタログがあると、より価値をご理解いただけると思います。 ーー最後に、これからのcarewillへの期待を一言お願いします。 渡邊さん:お身体の状態に変化があっても、楽しんで服を選べる、ご自身で着脱ができる、ご自身が持っていらっしゃる能力を最後まで使って日々暮らせるとよいと思います。そのサポートをcarewillができるのではないかと期待しています。 何歳になっても、どんな身体の変化があっても、服の選択肢が多い、自分で着脱できる、おしゃれを楽しめる。そんな機能とファッション性を兼ね備えたケア衣料のラインナップが増えていくことで、介護現場の職員の方の「Will」にも寄り添っていけるよう、引き続きcarewillは前に進んでいきます。渡邊さん、ありがとうございました。
介護現場に彩りを。毎日の装いに変化を。TOKYO STARTUP GATEWAY2019挑戦時から応援してくださっている介護施設長・渡邊さんのcarewillに寄せる期待とは

ケア衣料着用モニターの寺田雅美さんが語る、島根県海士町と東京との二拠点生活、それぞれの場所の魅力とは

SNSでシェアされた情報を見てcarewillについて知っていただいた寺田雅美さんは、過去のご自身の服の不自由の経験からの気づきなどを着用ヒアリングで提供してくだっています。そんな寺田さんは、島根県隠岐諸島にある海士町(あまちょう)と東京の二箇所を拠点に仕事と生活をされています。 寺田さんに、ご自身の服の不自由のご経験やcarewillについての気づきや思い、そしてご自身の価値観や隠岐・海士町と東京の二拠点生活について詳しくお話しを伺いました。今回は最終回、「多様性」「場づくり」を価値観の根幹に活動されている寺田さんご自身の二拠点生活や、隠岐の魅力についてです。 これまでの取材記事をまだお読みいただいていない方はぜひお読みください。 着用モニター協力者の寺田雅美さんが経験された服の不自由 「多様性」を大切にしてこられた着用モニターの寺田雅美さんが考えるcarewillの本質的な価値や将来への期待とは 寺田雅美氏 海士町×東京の2拠点暮らし。隠岐ユネスコ世界ジオパークにおける「海士町ジオ魅力化コーディネーター」として、ホテル×ジオパーク拠点複合施設「Entô」の設立・運営、「後鳥羽院顕彰事業」文化事業等に携わる。ほか、科学者×社会起業家らの共創による社会実装へむけた場の設計などの科学コミュニケーション活動、起業支援など。 キーワード:サイエンス×アート、「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル カーソン)、大自然や私たちの暮らしにひそむ様々な「まなざし」 Entô(エントウ) |隠岐ユネスコ世界ジオパーク 泊まれる拠点 島根半島から北へ約80km。隠岐諸島海士町、隠岐ユネスコ世界ジオパークの泊まれる拠点施設Entô(エントウ)の公式サイトで ento-oki.jp 異文化を受け入れ、多様性が育まれる土壌、島根県隠岐地方と海士町 ーー最後に、島根、隠岐、海士町の魅力をお話しいただいてもよろしいでしょうか。 寺田さん:実は、私にとって島根は、47都道府県のうち2箇所だけ行ったことがなかったうちの1県でした。図らずもその島根県に住むことになり、まだ島根の魅力全体を語るほど各地を回ったわけではないのですが、日本海に面していて、とにかく海の幸がおいしくて、そして日が長いんです。夏だと夜8時頃まで明るいんですよ。 みんな各家庭に小舟を持っているので、釣りに出ることがあります。海の上で「暗くなったから帰ろう」と言い始めるのが午後8時頃です。夕方から出ても釣りができますね。食、海鮮がおいしいです。また、神社が多いですね。出雲大社もあります。どの地域もそうだと思いますが、風土とともに暮らしていることが感じられやすい地域のひとつだと感じています。 その、島根県の中でも4つの島が連なっている隠岐諸島の中の、海士町(あまちょう)に暮らしています。町のキャッチコピーは「ないものはない」です。1つめの意味は「ないものは、ない」、例えば、コンビニエンスストアの話題の新商品は、この町では買えません。「無いものは、当然無い。存在しない」という潔い受け入れの気持ちですね。2つめは「無いものなんて、無い」です。ここには全部あるよね、今あるものをどう享受するかを考えよう、というダブルミーニングでこの10年ほどは海士町が発信してきました。 なんと最近3番目の意味ができまして、「ないものはないし、あるものは全てある上で、何を作るか」という気概で地元の方が暮らされています。私のようなIターン組はその地元の方々の気概に触発される部分があります。なかったら買うのが現代の多くの方が考えることかと思いますが、ここでは「ないものは、作る」んです。工夫するのがとても上手ですし、体に染み付いて暮らして生きている方が多いですね。その点が面白いと感じています。もちろん、島の方もネットショッピングをされたりすることもありますよ。 また、昔、北前船の航路拠点として栄えた場所であり、結果として、さまざまな地域由来の人や文化が混ざり合っている不思議な地域です。「大阪から、九州を周り、北海道に向かう商船」などと教科書にのっていましたよね。また、隣にある隠岐の島では黒曜石が採れ、昔はその黒曜石を国内外に流通していく際の拠点となった場所でもあります。離島がハブとなって、色々なところにモノや文化が伝わっていったことが日常の中で感じられる暮らしであり、そんな風景があちこちにあります。もちろん東京でも現在もまさに起きていることと思いますが、離島においても昔から脈々と起きていたんだなと感じます。 前回の記事でお話しした「多様性」につながる部分かもしれませんが、さまざまな地域ルーツの方、歴史をさかのぼれば後鳥羽上皇、後醍醐天皇のような方や小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)がこの土地にみえました。 決してとても広い島というわけではないのですが、異文化を受け入れる自然の風土、人の気質があると感じています。ひとがきたら、挨拶をして、出会って、話して、お互いを知って、何かを一緒にやってみる、というのが地域の方の風土に当たり前のように存在します。地理的にもたらされたものでもあり、それを強みに気概としてさらに磨かれてきたのだろうなと、そうしたつながりがとても面白いと感じています。 これらの人の面白さを感じるとともに、ジオパークに関わる中で感じることは、ここが昔は日本列島とつながる半島であった時代、さらに昔は日本列島が大陸とつながっていた時代に由来する事象の面白さです。北方、南方、大陸、そうでない地域の植物が、なぜこんな海際の海抜4〜5mのところに存在するのか、隣の島にはいる動物がこちらの島にはいないのだろうという、4島しかないのに「カオス」が自然の生態系の中に存在しています。 そんな風土の中に、さらに北前船や、いろいろな人々がここを訪れるという「カオス」、さまざまな「カオス」が混ざり合ってきた土地であり、それがわかりやすい土地です。もちろん東京の武蔵野台地でも起きていることと思いますし、世界中で、自然の長い時間でつむがれた風土とそこに暮らす・訪れる人の交流が、各地の現代文化へつながっているのだと想像すると、今までどんなことが起きてきたのだろうと思いを馳せます。 隠岐について思いを馳せることを通じて、色々なところにどんなことが起きているのだろうと考えるようになりました。それが感じられる現場のひとつとして、今、私がオープンに向けて取り組んでいる「Entô」は、「地球に、ぽつん」というキャッチコピーで7/1にオープンしました。 Entô(エントウ) |隠岐ユネスコ世界ジオパーク 泊まれる拠点 島根半島から北へ約80km。隠岐諸島海士町、隠岐ユネスコ世界ジオパークの泊まれる拠点施設Entô(エントウ)の公式サイトで ento-oki.jp 「地球とわたし」のつながりを体感していただけるおすすめの場所ですし、隠岐で「地球に、ぽつん」を感じていただけた先には、ご自身のふるさとや今後の世界のどこかの旅先でも、どこにいても「地球に、ぽつん」を感じていただければ嬉しいなと思っています。また、隠岐にもともと暮らしていて、「日常」の移動範囲にある場だとしても心では「旅」ができる場所になりたいと思っています。今週(取材時、オープン1ヶ月前でした)は展示設営Week。ジオパークのビジターセンターのようなものを作っていて、プロフェッショナルの皆さんと一緒に動いています。いかにシンプルな空間の中で、居心地がよく、観光の方にも、地元の方にも来ていただけるか挑戦のしどころです。 ーー「多様性」「継続性(サステイナブル、つづける・のこす)」のが上手な地域なのだろうなと感じました。 寺田さん:地理的に、本土と少し離れた島という立地だからこそ、結果的にその文化が色濃く残るのかもしれません。島に限ることなく、さまざまな土地、国、そして地球全体で何が起きているんだろうといつも、島を縮図に想像してみています。 ーー2拠点で生活・仕事をされていらっしゃいる寺田さんのおすすめポイントを教えてください。 寺田さん:この1年半ほどはコロナ禍で移動がしづらい状況ですが、引き続き2拠点ではあります。確かに拠点でいうと2箇所ではあるのですが、ポイント(A地点)とポイント(B地点)が離れていて、その間を行ったり来たりしている感覚ではなく、暮らしている場所の輪郭がふっと空を通ってつながっている感覚です。 海士町で暮らしているときは、打ち合わせ以外はPCを持って車に乗って、海が見える場所で仕事をすることも気軽にできます。自然が大好きな一方で、中高は都心で過ごしたので、今も青山や銀座が大好きなんですね。羽田空港におりると、自分の歩くスピードが自然と早くなる感覚も好きです。海士町に戻ると自然とゆるやかに、歩くスピードもゆっくりになりますね。そもそもこちらは歩いている方がとても少なくて、みなさん車に乗っています。 いろんなリズムの中に自分の身を定期的に置いていたい、こちらとこちらを振り子のように揺れていたい、そんな暮らし方をしたいです。コロナ禍で移動に制約がある中で、最近はその頻度は少なくなっていますが。祖母の介護を通じて感じていた「景色」の話についてもそういうことなのかもしれません。日常が物理的に動かないとしても、さまざまなリズム・時間軸を感じられる場づくりをしたいと考えていたのだろうと思います。 ーーー寺田さんの2拠点生活のイメージは、暮らしている場所の輪郭がふっと空を通ってつながっている感覚とのこと。「多様性」を大切にされる寺田さんの話を伺いながら、carewillのミッションステートメントの一部「服づくりを通じて社会にある境界線をにじませることに挑戦します。」と通じるものがあると感じました。また、第二回の「相棒」のお話にもあったように、ケアを必要とされる人々の人生に長く寄り添うことができるケア衣料を今後もcarewillから生み出していきたいです。 海士町ならでは、隠岐ならではのcarewillがお役にたてることもできていくといいなと考えています。引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
ケア衣料着用モニターの寺田雅美さんが語る、島根県海士町と東京との二拠点生活、それぞれの場所の魅力とは

「多様性」を大切にしてこられた着用モニターの寺田雅美さんが考えるcarewillの本質的な価値や将来への期待とは

SNSでシェアされた情報を見てcarewillについて知っていただいた寺田雅美さんは、過去のご自身の服の不自由の経験からの気づきなどを着用ヒアリングで提供してくだっています。そんな寺田さんは、島根県隠岐諸島にある海士町(あまちょう)と東京の二箇所を拠点に仕事と生活をされています。 寺田さんに、ご自身の服の不自由のご経験やcarewillについての気づきや思い、そしてご自身の価値観や隠岐・海士町と東京の二拠点生活について詳しくお話しを伺いました。今回は第二回、過去に起業支援をされていたこともある寺田さんからご覧になられたcarewillについてのお話しです。 前回はご自身の服の不自由のご経験や気づきについて伺いました。 そちらもぜひお読みください。 寺田雅美氏 海士町×東京の2拠点暮らし。隠岐ユネスコ世界ジオパークにおける「海士町ジオ魅力化コーディネーター」として、ホテル×ジオパーク拠点複合施設「Entô」の設立・運営、「後鳥羽院顕彰事業」文化事業等に携わる。ほか、科学者×社会起業家らの共創による社会実装へむけた場の設計などの科学コミュニケーション活動や起業支援など。 キーワード:サイエンス×アート、「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル カーソン)、大自然や私たちの暮らしにひそむ様々な「まなざし」 Entô(エントウ) |隠岐ユネスコ世界ジオパーク 泊まれる拠点 島根半島から北へ約80km。隠岐諸島海士町、隠岐ユネスコ世界ジオパークの泊まれる拠点施設Entô(エントウ)の公式サイトで ento-oki.jp 寺田さんの価値観や行動の全ての根底にある「多様性」への想い ーーこれまでの多岐にわたるキャリアの中に共通している、寺田さんが大切にされていること、価値観を教えてください。 寺田さん:大切にしているのは「多様性」です。 ーーもともと生き物を研究されていらっしゃったので「多様性」ですか? 寺田さん:よくご存知ですね。「多様性」への関心の個人的な原点は、96歳まで介護していた祖母が日系アメリカ人で、アメリカ生まれ・育ち、祖父との縁で日本へ越してきました。来日以降に私が生まれ、東京の実家で私は彼女とずっと一緒に暮らしていました。実は彼女は私が生まれた年に後天的な事情で耳が聞こえなくなった人でもあり、そんな分かりやすい「違い」が、当たり前に身近にある環境で育ち、「多様性」への想像力をはぐくんだと感じています。 たとえば、今こうして取材を通て話している私たちも、お互いに実は「異文化」なわけですが、同じ日本人、言語もたやすく通じてしまうだけに、暗黙のうちに「わかりあえる」と思い込んでしまっている面があろうかと思います。私にとっては、祖母がわかりやすい「異文化」として身近に存在していたことから、目の前の人が持っているバックグラウンド(背景)をいつも想像したり、聞いてみることを大事にしています。 また、自分と相手の他にも、世界中にはどんなバックグラウンドが存在しているのか、という思考を自然にしています。そうした原体験も手伝って、学生の頃「進化発生生物学」を研究していました。ちょうど大学に入るタイミングが、DNAの情報を読み取れるようになった時期で、「生き物の発生過程を、生き物同士の見た目の比較だけではなくゲノム情報での比較によって、さまざまな生きものの進化、つながりについて研究していました。この学問がとても面白くて、研究者になることも考えましたが、自分の特性として先ほどお話ししたとおり、「じゃぁ他には?」と広げていくタイプなので、研究者ではなく世界の「まなざし」を伝える仕事をすることにしました。 まず、屋外のフィールドを選び、八ヶ岳でネイチャーガイドの仕事、その後は科学技術館や科学未来館で科学コミュニケーターをしていました。その後、企業や行政の方が立場や組織を超えて対話していくことで未来の新しいことを見つけていくコンサルの手法としてフューチャーセッションを提供する企業で社会人インターンとしてお世話になりました。以降、再び自然の現場に関わる一方で、起業支援の仕事をしながら、ライフステージの変化(結婚)に伴い島根県の隠岐(海士町)に2年前に来て、現在に至ります。企業の皆様とのフューチャーセッション、屋外の国立公園・国定公園や室内のミュージアム「場づくり」がこれまでの仕事の共通点です。多様な価値観や世界の中にある「まなざし」が出会う、交差する場づくりが好きなことで、これまで仕事として関わってきたことの軸だと考えています。 起業支援施設Startup Hub Tokyoでプランナーとして仕事をしていたのも、背景には自分自身が起業し、個人事業主として仕事をしたいと考えていたことがあります。いろいろな事業をされている方々と出会い、起業したいと考えている方に起業家の方を紹介する場を作る仕事をしていました。自分にとっての「当たり前」は周りの人にとっての「当たり前」ではない、その視点に立つと世の中は「知らないこと」だらけですので、それをなるべくたくさん知りたいし、せっかくなので掛け算が起きて、みんなにとってワクワクする挑戦ができるといいなと考えています。科学も私にとっては「世界のまなざし」だという認識です。ちなみにこの「みんな」には私自身のことももちろん含みます。 チームで成果を出すために大切にしていること ーー現在フリーランスとしてお仕事されていらっしゃいます。多くの企業、個人の方とチームを組んで仕事をする、成果を出すために大切にされていることは何ですか。 寺田さん:自問自答の日々ですが、一つ言えるとすると「タイミングを逃さない」ことです。それぞれのステークホルダーがいて、しなければならないタスクが色々とみんなの真ん中にあるときに、そのタスクが、立場やコミットメントの違いから見えている、見えていないってありますよね。それは大前提です、違いがないことはありえない。そのため、タイミングを逃さないことを大切にしています。できる時と、できない時がありますが。 ーー今のお話しも「多様性」に起点があるのかなと。寺田さんは相手から見えているものは異なるということを理解した上でコミュニケーションをされていることが印象的です。 寺田さん:確かに。多様性からきていますね。ステークホルダーが多いとなおのことそうですよね。 寺田さんからみたcarewillの印象とは ーー前職で起業家を支援し、伴走されていらした寺田さんからご覧になられて、carewill、起業家としての笈沼さんについてどんな印象でしょうか。 寺田さん:笈沼さんはもともとJINSに在籍され、マーケットを読むプロフェッショナルでいらっしゃったとのこと。そこから、扱われるものはメガネからケア衣料へと変われど、機能面はもちろん追及しながらもそこに寄せすぎないで、暮らしにおける愉しみとのバランスをよく組み込まれた製品開発や事業展開をされていくのだろうな、色々な方のニーズに応える、新しい世界に誘ってくれるブランドを作っていかれるのだろうなとワクワク想像しています。 誰しも、人生のどのフェーズで何かの病気の当事者になるかもしれませんし、服の不自由を経験することになるかもしれません。もし自分はそうならないと思っていても、誰もがなる可能性があると思うのです。「care」の本質的な意味には、実際そのタイミングで何か病を患っているかどうかに限らずに、人生におけるひとりひとりの「will」に伴走したいという想いが根底にあることを感じています。だからこそ、ユーザー一人一人がその想いののった服を着て街を歩くだけで、「生きる」ことを応援し合えるアイコン、メディアにも衣服がなれるような、そんな製品が作られていくのだろうなと期待しています。 ーーこれまでのcarewillとのやりとりで、どんな気づきや感想がありましたか。 寺田さん:まず、社名が素敵だと思いました。知り合いではない方々の取り組みに「出会う」ことができてありがたいと思っています。みなさんの本気の部分が伝わってきて、リスペクトしています。タイミングやご縁ってあるのだなぁとも思いました。おそらく、創業された当時は「原体験」からのスタートでいらして、現在は具体的な事業化に向けて試行錯誤して走りながら取り組んでいらっしゃるフェーズなのだな、とその勢いと可能性にワクワクしています。 自分が肩をいため、まさに治療中というタイミングで、投稿を通じて長嶋さんを知り、carewillのこと、みなさんのことを知る中で、治療期間に着る服、というよりも、治療期間をともにした相棒という存在として、本人や誰かを元気付けるのではないかと感じました。 3回目のヒアリングで送っていただいたトワルで、肩を固定するマジックテープ付きの服がありましたよね。肩を固定する部分がそれぞれのユーザーにとって必要かつ心地よい部分へアジャスト可能、自分仕様にカスタマイズできるという点で、ケア衣料側面として大事な機能であり、ユーザーにとって心強いものになると当事者として感じました。 ヒアリング時に笈沼さんにも伝えましたが、その物理的に支える部分が遊び心のある差し色にもなっているなどすれば、デザイン性としても面白いのではないかとも想像しました。ほかにも、たとえばcarewillの社名が入ったタグや、何か治療途上の人にエールを送れるようなメッセージが書いてあると、「相棒」感が生まれ着ることが励みになり、楽しそうです。 ーーもしかして、甲状腺の手術後に首を巻いて守っていたもの(第一回記事参照)もまだお手元に残っていらっしゃるのですか。 寺田さん:はい、残っています。最近は身につけていませんでしたが、またつけてみたいなと今思いました。あれは確実に自分の相棒でしたから。これからも、たとえば夏に日焼け対策としてつけたいですね。 ーー今後のcarewillに期待していることや、社会に対してcarewillが創出していける価値についてお聞かせください。 寺田さん:現在、男女ともに働く社会にもかかわらず、認識には地域によって差があるのが現実です。私の両親は60代後半、これまでならば60歳ないし65歳で退職、その後は「余生」を生きる価値観が当たり前と考えられていました。 現在では「人生100年時代」、60代からの新しいキャリア・新しい生き方、日常をという流れになっています。その「日常」を心身ともに支えてくれる服があったら嬉しいと思います。以前、運営に携わっていたアクティブシニアの皆さん向けの生涯学習講座の場でのことです。長年「企業戦士」でいらした男性の中に、スーツを着て闊歩していた40年間と比べて、散歩・同好会・生涯学習講座に参加する日常になってから「今まで着たかったけれども仕事が休みのときにしか着られなかった服を着られるようになった」、「何を着ていいかわからなくて、そんな自分そして日常生活に慣れるまでに年数が必要だった」とおっしゃられていた方もいらっしゃいました。ライフステージの変化、日常のライフシーンの変化のタイミングに寄り添うかたちで、自信を持って「着たい」と思え服が増えていくと嬉しいです。 年代や加齢による体型の変化、身体の変化によっても、着られる服は変化していきますよね。そんな小さな変化が服のストレスにならないような、さりげなく寄り添える服をcarewillが作っていけるといいな、とお話しを聞いていて思いました。ありがとうございました。最終回では、現在お住まいの島根県隠岐地方(海士町)や、二拠点生活について伺います。
「多様性」を大切にしてこられた着用モニターの寺田雅美さんが考えるcarewillの本質的な価値や将来への期待とは

着用モニター協力者の寺田雅美さんが経験された服の不自由

SNSでシェアされた情報を見てcarewillについて知っていただいた寺田雅美さんは、過去のご自身の服の不自由の経験からの気づきなどをケア衣料の着用ヒアリングで提供してくだっています。そんな寺田さんは、島根県隠岐諸島にある海士町(あまちょう)と東京の二箇所を拠点に仕事と生活をされています。 寺田さんに、ご自身の服の不自由のご経験やcarewillについての気づきや思い、そしてご自身の価値観や隠岐・海士町と東京の二拠点生活について詳しく伺いました。今回は第一回、寺田さんご自身が体験された服の不自由についてのお話です。 寺田雅美氏 海士町×東京の2拠点暮らし。隠岐ユネスコ世界ジオパークにおける「海士町ジオ魅力化コーディネーター」として、ホテル×ジオパーク拠点複合施設「Entô」の設立・運営、「後鳥羽院顕彰事業」文化事業等に携わる。ほか、科学者×社会起業家らの共創による社会実装へむけた場の設計などの科学コミュニケーション活動や起業支援など。 キーワード:サイエンス×アート、「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル カーソン)、大自然や私たちの暮らしにひそむ様々な「まなざし」 Entô(エントウ) |隠岐ユネスコ世界ジオパーク 泊まれる拠点 島根半島から北へ約80km。隠岐諸島海士町、隠岐ユネスコ世界ジオパークの泊まれる拠点施設Entô(エントウ)の公式サイトで ento-oki.jp ーーいつも着用ヒアリングにご協力いただきありがとうございます。carewillを知っていただいたきっかけを教えてください。 寺田さん:長嶋りかこさんの投稿を私の友人が以前長嶋さんと北海道で一緒に仕事をされていたご縁で見て、carewillについて知りました。投稿されている内容を読み、「私も四十肩・鍵盤損傷!この痛みが、何か新しい事業をおこす種になるのならば!」と反応したのがきっかけです。 ーー投稿からアクションしてくださる寺田さん、シェアをしてくださるご友人も本当にありがとうございます。そのシェアをご覧になられる以前に、ケア衣料について意識されたことはありましたか。 寺田さん:実は3回あります。まずは10年前に私自身が甲状腺の全摘手術をしました。術後3ヶ月ほどは日光(紫外線)を傷口にあててはいけないと医師から話があり、首周りをカバーする必要があったものの、病院で何か具体的な製品を紹介されたわけではありませんでした。 時期が夏だったのでショールを巻こうにも隙間がどうしても生まれたりずれますし、タートルネックを着るわけにもいかないしと困っていたところ、ふと百貨店のスポーツ用品コーナーを訪れてみたんです。 ゴルフ用品の売り場で、首周りをカバーできる様々なデザインの商品が並んでいる光景に出会い、快気祝いも含めて家族とともに購入しました。このネックカバーは1つ1万円を超える商品だったのですが、伸縮性もあり、アタッチメント機能もあり、通気性もよく、使っていてとても心地よかったです。Tシャツを着用した上でその製品をつけることができましたし、さまざまなデザインもあり、心身ともに快適でした。 我が家では、まるでその様子がエリマキトカゲのようだったので、「エリマキテラ」なんて愛称をつけて呼んでいました。私の回復期の「相棒」です。 ーー首の日焼けを防いでね、と指示をされて、スポーツ用品店に行かれたのがすごいですね。 寺田さん:他には服飾雑貨店の商品で、指が通せるショールを購入したりもしましたが、使っているうちに、機能面をよりしっかりさせたい場合には、おそらくスポーツ用品がベストなのだろうな、と考えつきました。 2点目が祖母の介護の体験です。96歳まで自宅で介護をしていました。笈沼さんの原体験とも重なる部分ではありますが、祖母が自宅で過ごしている時間や、病院に入院する際、「普段着用しているパジャマを持参していい」と案内されたものの、日常の中で「装う」行為の必要性はあまりなく、実際は部屋着を着用していました。ただ、振り返れば「もっと院内における服のバリエーションがあれば、たとえ身体が物理的に移動しづらい日常生活にいるとしても、それに全く関わらず、より彩りがある生活も送れたのだろうな」と思うのです。物理的に動いたり・移動することが容易でない状況にある一人一人にとっても、衣・食・住(自宅の部屋や病室)こそ本当に大切で、さまざまな気分転換やインスピレーションを起こしてくれる要素だと感じたので、たとえばそうしたサービスや衣・食・住があることにより、結果的に社会との接点が生まれ続けられるようなものが必要で広がっていけばいいなとずっと感じていました。 例えば、当時、祖母が毎日部屋の窓から見あげていた空の景色は、実際に世界の他の土地のどんな空とつながっていて、そこに暮らしている人にはどんな日常があるのかなど、物理的な制約要件(身体や体調の都合、実際にいる場所)をこえて、さまざまな人にとっての「まなざし」が交差、共有できるようなテクノロジーの可能性にも関心が芽生えました。知人が取り組む、ドローンを用いたバーチャル観光サービスにも大変共感していました。また、先日笈沼さんが投稿されていた、介護施設に普段は入っていらっしゃるお母様へテーラーメイドのケア衣料を贈られたご家族のお話にもとても共感しました。 3点目は、以前からとても共感、応援しているケア衣料の取り組み事例として「CO-FUKU」を笈沼さんに紹介させて頂きました。起業支援の仕事をしていた際に出会い、事業を起こされたご本人とお話しさせていただいたり、ワークショップに参加する中で、本当に素敵な世界観だと思っていたためです。現在もとても注目しています。 コオフク 衣服を通したコミュニケーションデザイン(ファッション オルタナティブ デザイン)を通し「私らしく。あなたらしく。誰でもおし co-fuku.com ーー以前から、ケア衣料に多くの意識が向いていらっしゃったのですね。 寺田さん:ご縁ですね。その他にも、ミュージアムに勤めていた際のご縁で、一社)星つむぎの村さんが展開されている「病院がプラネタリウム」という活動にプロボノとして関わらせて頂いています。全国の、小児病棟などに伺い(コロナ禍ではオンラインの場づくり)、星空を分かち合う場や、宇宙の果てまで旅しに行き、ふるさとの地球にホッとかえってくるようなプログラムを展開されていてその世界観に魅せられ、志や活動をリスペクトしています。 一般社団法人 星つむぎの村 – 星を介して人と人をつなぐ場 hoshitsumugi.org ーー仕事もプロボノも、色々なご活動をされていらっしゃるのですね。 服の不自由の具体的なお話しをお聞かせください。 寺田さん:昨年の11月頃から、肩にピリピリとする痛みやしびれを感じていましたが、きっと肩が凝っているだけだと思っていました。当時は気づいていなかったのですが、おそらくすでに四十肩を発症して、症状が進行していたのでしょう。年末に、隠岐に大雪が降って、友人の子どもたちと一緒に雪の中で戯れていました。そんな中、私ひとりでコロコロと雪積もっているゆるやかな斜面を転がった際、激しい痛みが右肩に走り、一週間経つ間に「拘縮肩」ができあがりました。転がった直後の数日は、帰省移動の際に乗った飛行機内でスーツケースを上げたりする動作も無理なくできていたのですが、1週間ほど経つ間に、前にならえ、もできないくらい腕と肩がすっかり固まってしまい、髪を結ぶのにも激痛が走り難しくなってしまいました。とはいえ、なんとか、テーブルに右肘を置き首を傾けるようにして結んだりしていましたね。洗髪も、左手は動くのでシャワーをなんとか使ってやっていました。利き手の右腕がその状況なので、つい最近までは運転も怖くて控えていたほどです。 実家のある東京で2ヶ月間リハビリをし、こちらに帰ってきてからもリハビリにお世話になっています。日常生活の中で「歩く」だけでも腕が揺れ、当初は激痛が走っていたので、手持ちの肩掛けポシェットのようなものをどうにか角度調整して肘をその上に乗せて歩くなど、工夫していました。ただ、そうやって手を支えていても、時間が経てば手の向きがずっと同じなので疲れてきます。この手首をどこかにおいて休ませたい・・・と、一度下ろして、またカバンの上に乗せて腕を支えるを繰り返していた生活でした。リハビリを続けるに従って、症状や痛みは緩和されてきています。 carewillのヒアリングにこれまで3回協力しました。一番最初に送っていただいた、1着目の(昨年末のクラウドファンディングで販売した)グレーのシャツを着たときに、服に内臓されているポケットに腕を入れようとした際に腕が揺れて痛みが走りましたので、自分の症状にとって楽な着用姿勢を伝えフィードバックしました。また、冬はタートルネックをよく着ていたのですが、タートルネックであれば素材が伸びるので着脱が楽なのですが、背中で整える動作のある服は難しく、今も真上までは肩が上がらず、完全に元に戻るまでにはあと2ヶ月程度はかかるのかなと思っています。 carewillを知る以前から、ケア衣料についてご関心をお持ちだった寺田さん。ご自身の服の不自由のご経験とそれに対応できるグッズとの出会いの話が印象的でした。第二回では、carewillの着用モニターにご協力いただいた中での気づきや、ご自身の価値観とその原体験についてお話しを伺います。
着用モニター協力者の寺田雅美さんが経験された服の不自由