Staff notes

A little new idea that I noticed while snuggling up to the inconvenience of clothes. Then, the staff of carewill will spell out specific surveys and details of their efforts every day.

#Design

#022 言葉にならない感情を服に込める

こんばんは、代表の笈沼です。 昨晩寝る前に、NHK BS1スペシャル「ヨウジヤマモト~時空を超える黒~」を観ました。奥さんから強く薦められて。「今、私達が進めていることはすべてこの中で述べられているよ」と。そう言われたら、観ないわけにいきません。 BS1スペシャル 「ヨウジヤマモト~時空を超える黒~」 −NHKオンデマンド 80年代、黒一色の服で一大センセーションを巻き起こし、時代の先端を走り続けるファッションデザイナー、ヨウジヤマモト(山本耀 www.nhk-ondemand.jp さて、感想です。 まず、服づくりの方法論について。僕らが今、試行錯誤しながらも行き着いている観察、デザイン、試作品製作(それも何度も)、フィードバック、パターンメイキング、そして生地選び、やっとサンプル製作という工程や、装飾をなるべく廃して機能美を追求する姿勢、それらと似たシーンがそこには映し出されていました。だから、僕は心から共感し、また、大変おこがましくはありますが、僕らの物事の進め方は決して間違えていないと信じることができました。奥さんが言う通り。教えてくれてありがとう。 またそれとは別に、山本耀司さんの言葉で心に残ったものがありました。それは「自分の思い、怒り、悔しい、悲しいことそういうことを言葉にしないで服に込めるというのを、続けてやっているということですから」というもの。朝起きた後もその言葉はずっと僕の頭の中に残っていて、「それはなぜだろう」と思い、今、この文章を書いています。 ケアウィルの服は、決してYohji Yamamotoのアバンギャルドとかアンチモードではない。にもかかわらず、なぜだろう。それは、以前の投稿「僕らの服は、結果であり、作品である」にも書いたように、僕らが華やかさとは対局にある服を生み出すことに挑戦していて、それはちょっとアウトローだからかもしれない。また、その挑戦をする理由の一つに、僕には父を亡くしたあとに今でも残る言葉にできない絡まったままの思いがあり、その答えを服というものを通じて見つけようと人生を旅しているからかもしれない。 ケアウィルの服は、マイナスをゼロに近づけていく服。これが多くの服と決定的に違う。「後悔、あきらめ、痛み、もどかしさ」といった、できれば自分では目をむけたくない負の想い(少なくともその時は負だと思っている)と出会い、そこに寄り添うことからケアウィルの服作りは始まります。そして当事者との対話を通じ、想いの奥の方にあるご本人やご家族の意思を見出し、服を通じてそこに光を当てていきます。 この時、マイナスな状況から始まる当事者の心理を僕には言葉で表すことはできません。その心理は当事者の方々のみ分かるものだから。服を通じてその心を少しずつゼロに近づけていくことができれば僕らの本望です。勿論、ケアウィルのデザインと性格、それらが生まれたストーリーを言葉にして外へ伝える責任は僕らにありますが、僕らの服をお届けした方々の心情について作り手が振れるべきではないし、それを作り手が言葉にした時点で服の価値は無くなってしまうとさえ思います。 僕が今、そう思う理由に、別の投稿でもお伝えしました3日前にお届けしたオーダーメイド服の出来事があります。事実、ここでの依頼主の心情に寄り添うことはできても、それを言葉にすることはとても難しい。 ご依頼いただいた方のお母様(認知症を患われている)の服を私の母が作っている最中に、難病を長く患っていた旦那様、つまり、ご依頼主のお父様が不幸にも息を引き取られました。その翌日、ご依頼主から「告別式の前の数時間、コロナ渦に施設からもらった外出許可のタイミングに、お母さんにその服を着てもらいお父さんと写真を撮れたら」というお話があり、僕は迷わず、母から届いたばかりの服を持って依頼主へ直接お渡しに上がりました。無事、その撮影ができたとうかがい、ほっとしました。 では、作り手である母はどうであったか。僕はお父様が亡くなられたことを母には伝えていましたが、母は「皆様 お身体をご大切になさってください」と一言だけ書いた手紙を服に添えて僕へ送ってきました。 その服が届いた時、母と電話で話したのですが、母は「最初はきちんとお手紙を書こうと思ったのね。でも、人様のことをこちらがあれこれ触れるべきじゃないわね。早く服をお渡ししないと。」と言いました。母は服に思いを込めている。作り手の言葉にならない思いが服とせめてその手紙の一言に込められていれば良い。その先は、服が相手の心に、日々に、寄り添っていく。 言葉って難しいですね。でも、服には言葉では伝えられない感情を表現したり、呼び起こすことができる力があると僕らは信じています。だから僕は、ケアウィルの服はユーザーの言葉にならない感情に寄り添う、同時に、作り手の想いが込められた服でありたい、あらためてそう思いました。そう考えると、まだまだ道のりは長いな、もっと感じてもらえる服にしていかないといけない。 最後に、これはまったくの余談なのですが、僕がこの映像からシンパシーを感じた理由は他にもあります。 山本耀司さんと僕の父は1943年生まれで同い年、通った大学、学部もまったく同じなのです。また、耀司さんも僕も生まれが新宿区、そして、服装学校を卒業した縫製者の母のもとに生まれた一人っ子。さらに、Yoji Yamamoto というブランドが生まれた1981年は僕が生まれた年です。 ••そんなわけで、誠に勝手ながら何か親近感を感じた次第です(笑) それでは、また!

#025 デザイナーには責任がある

おはようございます、代表の笈沼です。 「デザイナーには責任がある」これは、昨日、ケアウィルのパートナーセッションへお招きした長嶋りかこさんが仰っていた言葉です。長嶋さんには昨年10月からケアウィルのアートディレクターとして参画いただき、ケアウィルのビジュアルアイデンティティ(VI)を創り、監修いただいています。 この言葉は、長嶋さんとの対話の中で何度か出てきていたのですが、昨日うかがって、改めて、長嶋さんらしさが集約されているなぁと思いました。 長嶋さんを始め、village社(長嶋さんが代表の会社) の皆さんとお仕事をしていてとても心地良いのは、一緒に、全力で泥まみれになって駆け抜けてくれるから(笑)グラフィックや言語表現に留まらず、事業に対するデザインに至るまで、僕らと真正面から向き合い、問いかけ、本気で意見をぶつけ、でも多くの場面では傾聴し、状況に順応し、いざ実行になれば、ものすごい集中力によって細部にまでこだわったデザインを実現してくれる。そのどの過程においても泥臭さがある。 それは、長嶋さんご自身の過去の経験と教訓、何かを実現するために何かを捨てたからこそあとに残る覚悟があり、その覚悟がチームにも根付いているからだろうとお話から感じました。だから「デザイナーには責任がある」と言い切れる。そこには「何をやるべきで、何をやるべきでないか」のシンプルな判断基準があり、いざやるとなったら「なぜやっているのか」を自問自答し、1つ1つの答えを外へ語り続ける根気強さと、そのための頑固さ、何より表現力がある。 当たり前のことを当たり前に続けることって本当に尊いことだと思います。多くは、周りにぶらされちゃう。褒められたら浮かれちゃう、特に今の世の中って、自分をスマートに綺麗に見せるツールやテクニックが溢れているから、それが本質でないと分かっていても、他人と比較すれば自分が見劣りしていると錯覚し、表面的な、手近な表現に走ってしまう。でも、どうなんだろう、結果、それって皆、同質化してく気がします。 villageとの関りを通じて、僕も、ケアウィルが扱う全てのデザインに責任が伴う、言い方を変えれば、デザインの理由を外に語りつづける責務がある、と思うようになりました。CEOは経営のデザイナー。製品、サービス、社会との関わり、仕組み、コミュニケーション、戦略、組織、文化、すべてを、デザインできる。でも、まだまだ当社は小さい会社ですから、すべてのデザインを実行はできないものの、事業が成長していけば必然的にデザインの対象も拡がっていきます。 そんな「デザインに対する責任」について、でした。ではまた!

#023 僕らの服は、結果であり、作品である

こんばんは、代表の笈沼です。 この仕事をしていると、病気や怪我を今、患われている方、これまで闘病をされてきた方、ご家族とともに終末を過ごされている方、大切な人を亡くされた経験がある方など、一言では表せない状況にいる方々との多くの出会いと、その後のやりとりがあります。 そのやりとりの中で、僕らはご本人やご家族のストーリーに引き寄せられ、背景にある事情を知り、さらに奥にある様々な心情に出会います。服を作ることが僕らの仕事ではあるのですが、多くの方々と接する中で、僕は、服はあくまで結果に過ぎない、と思うに至っています。 ご本人やご家族の痛みに誠実に寄り添う、でも、その痛みを理解するなんておこがましい。だから、お話に傾聴し、その過程から学び、想像力をもって対話を続ける。それが、僕らにできる最優先かつ最低限のことです。たとえ、「最低限のこと」で終わったとしても、それでいいじゃないか、と僕は思うのです。結果、服につながらなくとも、その出会いと対話は将来の服づくりに必ず活かされる、大切なアーカイブとなる。 以前の投稿でも触れましたが、僕らが扱うケア衣料は、華やかなものをより華やかにする服ではありません。身体が感じる、痛み、疲れ、けだるさ、こわばり、重さ、心にある、後悔、諦め、悔しさ、もどかしさ、恥ずかしさという、装飾美が起点にある多くの服とは全く対局にあることと向き合うことから僕らの服づくりが始まります。 でも、僕らは医師でも牧師でもありません。だから、それらを治療することも治癒することもできません。では、何をしているかと言えば、服によってユーザーの心情に寄り添うことに挑戦しているのだと思います。つまり「服の不自由」という共通のテーマのもと、デザイナー、パタンナー、看護師、介護士、ディレクター、工場が集い、それぞれの知見、思い、想像力を最大限に活かして僕らなりの答えを服に対して導き出すことで、寄り添う。 だから、僕らの服はモノというよりも作品、共同作品なのではないかと思うようになりました。まず、ユーザーがいて、その方の「服の不自由」を解消するというミッションのもと僕らは集い、ユーザーの課題を理解し、解決策として服を作る。不思議なことに、僕らが作るすべての服が同じ過程をたどります。必ず、人が起点であり、人と人との偶然の出会いがあり、必然的に共同作業が進められ、その結果、作品としての服が生まれる。 ですから、一つ一つの服が生まれたストーリーを丁寧に、誠実に、外へ伝えていく覚悟と責任が、服づくりに携わった僕らには当然にあります。それは、先にモノがあり、それをどう外へ伝えるか策を練るマーケティングとはどうも逆のように見えます。ブランドもあくまでその過程を経て結果として蓄積された無形資産であり、ブランディングという表現さえ、逆に思えます。 ケアウィルにとって服はあくまで結果であり、人が中心となって生み出された作品だと、僕はそう思い始めています。 それでは、また。

#020 シフトしていきます

プロジェクトメンバーの支援•尽力のお陰で、carewillの人格と事業の輪郭が少しづつ見えてきている実感があります。本当にありがとうございます。 まだまだ改善が必要とはいえビジョンが具現化されたモノができつつあり、日々の手触り感が増してきています。また、できること、できないこと、できるはずだから乗り越えるべき課題が絞られてその解像度も上がってきています。(••とはいえ、色々とやろうとしすぎ!と周りから諭されます。どうもすいません。) 言い換えれば、”何が分からないかがわからない”という事象が減ってきています。例え失敗をしても、時間やお金のコストを少し無駄にしても、それも勉強代と思えるような局面が増えてきました。 carewillは成長していきます。今は内部の取り組みが中心なのですべてを明かせませんが、時期を見ながら、僕らが日々取り組んでいることを段階的にソトへお伝えしていきます。僕を含むプロジェクトメンバーからの情報発信も増やしていきます。 僕の心が感じていることと頭が考えていることを言葉で表現して伝えていきます。へたくそでお見苦しいかと思いますが、お馬鹿になってつづけます。そして、応援してくださる皆様とお会いし、対話する機会を増やしていきます。新型コロナウィルス感染症と緊急事態宣言の状況も横目で見つつ。 それに伴い、僕の時間の配分、心と身体のあり様、生活環境も、少しづつ適したスタイルへシフトしていきます。これぞと決めた後は猛烈に前進するのですが、いかんせん、臆病者なのでじわりシフトしていきます。今はそういう束の間だと思っています。アラフォーで前厄なので自分なりのペースでシフトします。 そんな、春に向けた頭出しでした。