Staff notes

A little new idea that I noticed while snuggling up to the inconvenience of clothes. Then, the staff of carewill will spell out specific surveys and details of their efforts every day.

#securities-company

#004 くるたのしさを求めて

おはようございます、4日目です。 昨日は脱線してオフィス紹介でしたが、今日は朝から打ち合わせでそのまま外出なので、間髪入れずに自己紹介のつづきです。 2007年、僕は「くるたのしい」経験を求めて27歳でSMBC日興証券の投資銀行部門へ転職しました。仕事は本当に楽しかったです。苦しい局面も多かったけど、自分の限界を超えて視界が突然広けた瞬間が何度もあった時期です。 今だったら労働衛生上、絶対に許されないでしょうが、、とにかく狂ったように働きました。新丸ビルのオフィスで、朝5時まで大量のパワポとエクセルのおばけを作り、資料を印刷・バインディングして、池之端の自宅へシャワーを浴びに1時間だけ帰宅。そのまま上野駅から東京駅へ行き、新幹線に飛び乗り、プレゼンを車内でぶつぶつ暗唱しながら練習して、携帯アラームを30分後にかけ、寝てすぐ起きて、新大阪駅で降りてお客様を往訪する、とか。…今考えると頭おかしいのですが、僕だけでなくチームメンバー全員がそんな働き方をしていました。 幸いだったことは、当時はまだ昔の古き良き証券カルチャーが残っていて、数字に強く、弁が立って、手が動き(=良い資料が書けて)、フットワークが軽い人間には次から次へと仕事が来ました。そこには年功序列は一切なく、バンカーやRM(法人営業部門)、支店長から「こいつは面白い提案をする奴」と見込まれれば、年齢にかかわらず、客先に連れて行ってもらえました。例え20代でも、上場企業の社長の前で話すこともあります。お客様が喜ぶなら形式なんて問わない。証券会社にはそういう風土があります。 (余談ですが、提案に対してお客様に喜ばれたときは「刺さった」と言います。「今日の提案はお客さんに刺さったね。」とか。なんと恐い表現ですけど。) そう、とにかく、くるたのしかったのです。この時期の話をするとまた長くなってしまうので、それはまた後ほど。 ところが、日興で働き始めて4年が過ぎたころ、突然、僕は米国へ留学しようと決心します。理由は至ってあまのじゃく。仕事にも慣れてきた。でもこのままだとありきたりな社内競争に巻き込まれそう。だから、ポジショニングを抜本的に見直さないといけない、そう思ったためです。キャリアに対する自我が芽生えていました。 その背景には、当時、M&Aアドバイザリーの事業環境が大きく変化していたこともありました。2008年のリーマンショックと2011年の東日本大震災で、日本のM&A市場は急速にグローバル化が進みます。国内案件が激減する一方で、海外案件、特に「IN-OUT」と言う、医薬・食品など内需型の成熟産業の日本企業が、グローバル化のために海外企業を買収する案件が急増します。 (グラフで見るとこんな感じです。僕が日興に在籍したのが2007年-2012年が赤枠です。この間、総件数は2008年以降にガクンと減少、でも、黄色のIN-OUTの案件数は増え、全体に占める割合も急伸しています。) Source: MARRオンライン [M&Aスクランブル] (2015/01/07) そういった変化に合わせて、どの証券会社も銀行も「グローバル化」を経営戦略のスローガンに掲げ始めます。(まぁ、日系金融機関は「グローバル化」ってずっと言ってるんですけどね、うまくいかない。)例えば日興でも、課長職以上はTOEIC650点以上のスコアメイクが必須になったり、僕の同僚の多くは海外支店で働くために英語を猛烈に勉強し始めます。 (そういえば、業界は違えど僕がいた楽天が英語公用語化を掲げたのも2010年。) Rakuten Today: Englishnization rakuten.today でも、日系証券会社の内実はどうかと言えば、、多くのグローバルなM&A案件では、バルジと呼ばれる外資系金融機関(ゴールドマンサックス、ドイツ証券など)がアドバイザー業務を勝ち取ります。案件の数、ディールサイズともに、日系は外資の足元にも及ばないのです。例えば、当時のグローバルリーグテーブル(M&Aアドバイザリーのランキング)を見ますと、日系では野村證券が9位にランクインするのみです。 Source: Bloomberg -GLOBAL FINANCIAL ADVISORY MERGERS & ACQUISITIONS RANKINGS Q1 2012 つまり、日系証券会社の海外支店で働いたとて、その仕事は、国内で成約された案件に対して海外で”調整”を行う所謂、現地駐在員のようなものでした(今は分かりませんが)さらに若手は人事ローテーションがありますから、最短1年で帰国。英語がすこし流暢になって、現地のレストランに詳しくなって、社内キャリアにちょっと箔(はく)を付けて、はい帰国。 ちなみに当時の僕は英語が全く話せずTOEICも450点とか散々なレベルでした。それでも周りに感化されてベルリッツに通ったり参考書を読んで勉強をするわけです。ただ僕は、そういう同じレールの上での社内競争はどうも苦手で、すぐに飽きてしまう。僕より賢い人たちはたくさんいますから。もっと自分らしく競争したくなる。 「さぁ、どうしたものかな。楽しくないな。」と思っているとき、急な人事異動が発令されます。 2010年秋口に突然、僕は、日興の常務(今はベインキャピタルにいらっしゃる大和田さん)に呼ばれまして、投資銀行部門の特命チームにアサインされました。こういう出来事ってなぜかいつも急に来るんです。本当に他力な人生なんです。 ミッションは簡単に言うとリストラ。当時、日興の親会社はシティグループからSMBCへ変わり、それに伴い、日興・SMBC・大和証券SMBC(大和証券とSMBCとの提携解消によるの帰還組)の投資銀行部門は統合。M&Aに関わる社員は総勢160名まで膨れ上がっていて、ヒト、カネ、システムをリストラクチャリングすることが特命チームのミッションでした。 そして、このチームメンバーとして機密性が高い情報を扱うプロジェクトに関わる中で、銀行傘下となった証券会社が置かれた状況、3-5年カ年の経営計画、リストラの目標、3者の入り組んだ人事制度などなど、、内実がとても赤裸々に見えました(『半沢直樹』は見たことないので分からないのですが、おそらくそれに似たような話です。事実は小説より奇なりですが。。) そこで僕は、奥さんへ前回の転職時と同じく唐突に相談します。「もう金融はいいや。英語全く話せないんだけど、猛勉強してMBAを取りに行きたい。」と。IT、財務ときたらその先はもうMBAしかない、という単純な発想です。また、英語しか話せない環境にポツンと身を置けば、会社の1年間のローテーション人事よりも短期間で戦闘力の高い英語が話せるようになるだろう。食いっぱぐれやしないだろうと。 前回の転職時に同じくその時の僕の奥さんの返答もさすがでした。「あなた31歳でしょ。35歳になる前に挑戦しておいた方がいいわ。35歳を超えるとキャリアチェンジはしづらくなる。今、円高よ、学費も30%くらい安く済むから。」どーんと、エコノミストらしい相場見通しも混じえた返答。夫婦会議はすんなり終了です。 (確かに、2011-2012年は超円高で1ドル76-78円。その翌年2013年にはアベノミクスで100円を超えました。) •••そんなわけで、ここまでは証券会社を辞めて留学を決めたというお話でした。あぁ、留学中の1年半の話になかなか到達しない。。今日は書きすぎだな、、息切れしている。ではみなさま、ごきげんよう。 >次回はこちら