Staff notes

A little new idea that I noticed while snuggling up to the inconvenience of clothes. Then, the staff of carewill will spell out specific surveys and details of their efforts every day.

#study-abroad

#008 MBA留学が教えてくれたこと -その2

Iおはようございます。8日目です。末広がりです。 今日は「#007 MBA留学が教えてくれたこと -その1」の続き。ビジネススクール Hult が僕に教えてくれた価値観のうち、7年たった今でも大切にしていることを書きます。 ※内容はソフトスキル中心です。マーケ、会計、戦略といったハードスキルに関する内容ではありませんので悪しからず。それらテーマは専門家の皆様にお譲りしまして。。 3. ダイバーシティから学び行動する Hultのチームメンバーはとにかく多様です。60か国から280名の生徒が1つのキャンパスに入学します。職種は、コンサルタント、エンジニア、バンカー、ファミリー企業の子息、会計士、弁護士、国連職員、医師、エンジニアなど、、とにかく多様。年齢も27歳~50歳ぐらいまで幅広いです。 (プログラムの詳細は以下にも詳しくまとめています。僕らが当時、新入生のオリエン向けに作った資料です。) orientation-presentaion-may-31st-final.pdf 前回にも触れましたチーム編成について、学校は、チームに同質性が生まれないように敢えて強みや年齢、国籍がバラバラなメンバーでチームを組成します(この徹底はすごい)。そもそも、生徒の採用が、性別、国籍、職種が多様になるような数値目標に基づいて行われていますから、採用後はその生徒を年6回分のプロジェクトに割り振っていくんですね。 僕らはこの多様なメンバーとの協働を通じて、混沌を受け入れながら、個の強みに目を向け、それを何とかチームのパフォーマンス向上に活かすために試行錯誤します。その際、コミュニケーションアシスタントという事務局メンバーも1チームに1名アサインされます。彼らは中立的な第三者として、チームで互いの価値観・文化的背景の違いを理解することを促進したり、一方で、差別的な言動を行った生徒がいる場合には適切に対処します。例えば、チーム内で衝突が起こった際には仲裁に入り、明らかに差別的な事象があれば、通報を受けてその後の調査を行い、場合によっては処分まで行います(悪質な事象があれば1発でドロップアウトする学生もいます) さて、以下が僕の一番最初のチームのメンバーです。 32歳の税理士(ベネズエラ人。僕は今でも仲が良く、コロナ前に彼が日本に旅行に来た際には共に過ごしました。たまにWechatでおしゃべりもします)、28歳のソフトウェアエンジニア(インド人)、31歳の小売業マーケター(インド人)、36歳の船舶メーカーエンジニア(スペイン人)、30歳の通信会社の経営企画(ブラジル人。日系ブラジル人なのでファミリーネームは日本名で外見も日本人ですが日本語は全く話せません。彼の祖父は相撲の力士でした。)と僕。職種、年齢、出身国はバラバラ。 インド人や中国人は生徒数が多いので1チームに2名いることもありますが、それら以外は全員異なる国籍です。1年間で6チーム、1チームの人数は5-6名、異なるプロジェクトで国の重複はありますから、ざっと20か国、約30名のメンバーと苦楽を共にします。 僕がHultのチームワークで学んだことは、、というか、今でもこの時の経験をもとに探求し続けていることなので学んだというのは大変おこがましいのですが、それは、「ダイバーシティだから素晴らしい」のではなく、ダイバーシティから学び、それを議論し、プロセスや規範を改善する文化をチーム内で醸成することが大切だということです。つまり、国籍、年齢、性別の違いがあることを受け入れるのは当たり前の話で、肝心なことはその先。公平に議論し合い、もし互いの考え方やその根底にある価値観の違いがあるなら直ちに全員で議論し、内省し、学びを得る。そして、その学びを活かし、チームの規範を構築していくということ。 例えば、ダイバーシティという観点では、僕が経験した限りでは、アジア人は比較的に計画と時間に忠実に仕事を進めます。価値観が近いのでコミュニケーションも同じ英語を話していてもなんとなくコンテキストが読めます。ヨーロッパと中南米は、自分と感情とチームのムードを重視しながらここぞという時に個人が集中的にパフォーマンスを出す傾向があるように思います。アメリカ人はロジカルでオープンに話しやすい、チームプレイは得意かな。インド人は、うーん、本当に多様。 …そんな感じで、国籍とその文化的な背景は必ず存在します。ただ、それを知るだけではチームのパフォーマンスは高まらない。多様性を高めればチームのパフォーマンスが上がるという単純な話ではない。逆に、多様性をただ受け入れてしまうと、ただのバラバラなまとまりのない個の集団になってしまうリスクも存在する。僕自身が、Hultのチームで1度、空中分解して最低のグレードを教授からもらったこともありますし、僕自身、大企業で多様性を高めるリーダーの一人として大企業で組織を作ってきた経験も踏まえても、そう思います。 だから、大切なことは、互いの違いを当然のことと受け入れ、チーム内で内省し、メンバー個人の強み・弱み、特徴を理解し、それを活かすために日々行動し、プロセス、制度などの規範をを見直す、そういった学習する文化を組織に醸成することに価値がある。 この考えは、僕らの事業 carewill においても活かされています。事業化を本格的に開始してから4カ月が経ち、お陰様で、プロジェクトのメンバーは業務委託、パートを中心に24名まで膨らんでいます。 職種は、看護師、弁護士、デジタルマーケター、Webディレクター、Webエンジニア、洋服の縫製者、パタンナー、グラフィックデザイナー、映像クリエイター、コーポレイトコミュニケーション、補助金事務担当など、、とにかくダイバーシティ。国籍は同じ日本人なのでHultのチームと比べれば格段に同質性は高いですが、とはいえ、通常であれば全く異なる業界で働いているプロフェッショナル達ですから、言語体系、商習慣、仕事の進め方、費用に対する考え方など、基準や優先順位が異なります。なので、僕も、チーム内でも日々相互理解と学習の繰り返しです。個人的には、クリエイティブやデザインを生業にされている方々との協働は、僕にはない視座を教えてくれるので大変学びが多いです。 一方で普遍的なもの。人と人としての関わり方、事業開発の進め方、マネジメントの手法、あと、ユーモアとか。これらは、例えメンバーの職種や国籍が変われど変わらないなと改めて感じます。Hultで学んだダイバーシティマネジメントが素地になっています。過去のキャリアにおいても、海外パートナーと、フランチャイズ事業や新製品開発を行う際にもそう思いました。それらは変わらない。 ちなみに今のslackはこんな感じです。チャンネルは20を超え、メッセージは7,000件を超えました(あぁ、そろそろ有料プランにしないとかな。。) 異なる価値観や文化的な背景があるからこそ、メンバーはクロスオーバーなコミュニケーションを積極的に行い、そこから学び、今の僕らの組織においては、学びを革新的な製品・サービスの創出、プロセスの改善につなげていきたい。同時に、ダイバーシティと言えど結局は人なので、職種とは別に、人と人として互いに関心を持ち、尊敬しあえる関係が能動的に構築される、そんな組織文化を醸成していきたいと思っています。そしてその文化は、海外展開をする上での土壌になると思っています。そんなことも見据えて、越境ECサイトを先行してオープンしています(まずは小さく、でも視野は広く)。 今日はここまで。ダイバーシティから学びを得て、行動することの大切さを書きました。ではまた! >次回はこちら

#007 MBA留学が教えてくれたこと -その1

おはようございます。7日目です。よーし、なんとか1週間続けられました。バッジももらえて嬉しいな。 さて今日からは、「#005 31歳からの留学あれこれ」でご紹介しましたビジネススクール Hultが僕に教えてくれた価値観のうち、7年たった今でも大切にしていることを書きます。 ※内容はソフトスキル中心です。マーケ、会計、戦略といったハードスキルに関する内容ではありませんので悪しからず。それらテーマは専門家の皆様にお譲りしまして。。 1. チームで成果を上げる Hultでは、チームワークの精神をこれでもかと言うくらいにたたきこまれます。席に座って参加する授業(とはいえ、座学とは違い対話型)だけでなく、Cohort ―コホート: 仲間 と言われるチームが1年間に6回も組成され、チームで、レポート作成やプレゼン、協働作業(例えば、いかだを作ったり、ビジネスゲームをしたり)を行います。 それ以外にも、授業中に突然、ティーチングアシスタント(TA)からその授業内だけのチームが発表され、1時間以内にケーススタディに関する質問についてディスカッションを行い、チームの見解をまとめ、パワポを作って即興で発表というものもあります。もう、あの手この手を使ってチームワークの場に生徒を放り込んでいくわけです(笑) また、Hultの成績評価の基準もチームワークに重きが置かれています。なんと、個人の筆記試験・レポートに対する評価が合計点に占める割合は35%程度。それ以外は、2. Team Assignment(チームで提出する宿題)35%、3. Class Participation(授業中の発言の回数・内容)20%、4. Peer Evaluation(チームメンバーからの評価) 10%といった感じです。 つまり、チームワークに積極的に参加して、その中での貢献を仲間に認めてもらえれば最大45%の評価を得られます。逆に、あなたがいくら優秀でも一人で満点取るだけじゃだめよ、ということですね。実際、僕も、優秀だけども意見を全く曲げないチームメンバーが一人がいて、チーム内で喧嘩ばかり起こし、チームが空中分解してしまい、、質の低いプレゼンを行うこととなり、最低のグレードを教授からくらった経験もあります。要するに、チームで成果を出しなさい、ということです。 2. 混沌は自然現象として受け入れる これは1つ目とも大いに関連することですが、チームにおける個人の衝突、さらにその中で沸く不安、否定、怒りといった個人の負の感情は、パフォーマンスが高いチームに進化する過程において当たり前に起こる自然現象と考えること。そして「そんかもんだ」と状況を受け入れることから、メンバーの相互理解と自分の理解が始まるということです。 MBAへ入学するような人達なので、皆、何かしらの際立ったバックグラウンドがあり、個人のスキルと経験に自信を持って意気揚々と入学します。そんなメンバーがチームを組むわけですから最初は必ず衝突が起こります。さらにHultは、職種、国籍、年齢(同級生で20歳以上離れていることもある)も多様となると尚更です。 学校もこれを実践と内省を通じて教えます。 入学後、一番最初のチームで2週間を終え、多くのチームが混沌としているころ、突然、僕らは大教室に集められます。「課題の締め切りがもう3日後に迫っているのに全く作業が進んでいない、、」とか、「あいつとあいつはいつも喧嘩している」とか、「あいつはいつも遅刻してくる」とか、半分ぐらいの生徒はもうこの世の終わりみたいな表情をして、疲労困ぱいです。 で、そんな生徒達を見て、教授が笑いながら聞くんですね「どう、うまくいっている?」と。そうすると「もうナーバス。意見がまとまらない。絶望的。」と生徒が答えます。すると教授は「ほう。で、課題は終わりそう?」と聞くと、生徒は「努力するが、不確実だ。」と応えます。 すると教授は「だよねぇ、はは。今年も同じで良かった。君たちにとっては特別かもしれないけど僕にとっては毎年見ている光景から特別じゃない。つまり、予期できること。今、君たちの目の前に起こっていることは健全なこと。今の感情とその過程で起こる感情の変化ををよく記憶に残しておきなさい。」と言い、さらりとこんなスライドを見せて、話し続けます.. 「これはチェンジカーブ。チーム、特に個人が強いチームはみなこの過程を歩む。最初は必ず衝突する。そして、一時的にパフォーマンスがグンと落ちる。各個人は、その状態を見て絶望的は気持ちでいっぱいになる。でも、それは予期できること。重要な挑戦は、そういった変化をマネージして不確実な状況を乗り切ること。その先にはパフォーマンスが上がり始める瞬間が必ずあるから。」と。 そして、ぽちっとレーザーポインターのスイッチを押して次のスライドを見せて淡々と続けます。 「こっちはチームの進化におけるチェンジカーブ。今君たちはまだ個の集団(Group of Individual)だ。でも、今の混沌とした状況(Storming)を乗り越えれば必ず、チームにまとまりのようなもの(Forming)が生まれる。そして、共通の規範が出来上がり、個人が自走し始め、互いの関係は安定化する(Norming)結果、成果が生まれる(Performing)」と全てお見通しかのように説明されます。で、皆な冷静になる。 この成長過程ってその通りなんです。僕は、ビジネススクールを卒業したあと企業文化も事業内容も起業規模も異なる複数の会社でチームを立ち上げて/仕立て直してマネジメントしてきましたが、面白いぐらいにどのチームもこの過程をたどります。もちろん、メンバー構成、組織の生い立ち、企業文化によって起こる事象の内容と各過程に要する時間は異なりますが、歩む過程は同じなんです。 だから、自分がマネジメントを行う立場であれば、メンバーとの対話やオペレーションを観察しながら”チームはいまどの過程にいるか” を洞察し、「さて次はなにしようかな」と考えます。例えば、皆、お行儀が良すぎたり、おたがいを慮りすぎて表面上のやりとりに終始している状態なら、あえて僕が嫌われ役になって混沌を起こすこともあります(ごめんなさい)なぜかといえば、その混沌を経ないとお互い分かったふりで仕事をする個人の集団を超えられないからです。さらに、その先の組織化、自立×自走の規範を整備することも僕の大切な役割です(それは別のテーマなので別の機会に)  また、個人としては、なかなか難儀な状況に出くわしたら、上記の図を見ながら過去に起こった事象を思い出して「まっ、これって自然現象だよね。変化に対して自分の心が抵抗しているってこと。今目の前に起こっていることはあくまでパフォーマンスを生むための一過程。」と割り切って、さっさと自分の心の状態を受け入れちゃいます。そして寝る、起きたらもう忘れている(これまたごめんなさい) 大切なことは、自分の負の感情とそれを引き起こしている事象とすこし距離をおいて、それらを客観視し、分析し、今は将来に向けた過程である、と考えて現状を受け入れることだと思います。それをせずに、過度に自己肯定したり、逆に目の前の事象から逃げてしまうと、チームでパフォーマンスを上げる経験を得られないまま歳を重ねてしまいます。キャリアにおいては、所謂「負けぐせ」が付いてしまったり、ある年齢を超えたときに個人の力を超えた仕事ができずに給与が伸び悩む、そんなことが起こります。 ..あっ、またあっという間に長文に。。端的に書く力を身につけないと。。今日は、MBAが教えてくれたことのうち、特にチームに関わることを中心に、ちょっとキャリア論のスパイスも混じえながら書きました。つづきはまた明日に! >次回はこちら

#005 31歳からの留学あれこれ

おはようございます。5日目です! 今日はこれから4日ぶりにハナの診察。術後5日経ち、まぶたの腫れは引いてきました。体力と食欲も少しづつ戻ってきました。診察結果がよいものでありますよう。 さて、昨日のつづきです。 2012年。僕は、新たな「くるたのしさ」を求めて31歳でSMBC日興証券を辞めました。でも、留学の準備は「くるしさ」しかなかったです (苦笑) TOFELのスコアを取るのにとにかく苦労したのです。。僕は、単純なテスト勉強がとにかく苦手。。おそらく20回ぐらい受験したと思います。Speaking とListening は合格点なのですが、Reading とWritingがとにかく点が上がらない、そんな、日本人としては不思議な状況でした。 結局、ビジネススクールに入学する4か月前に米国へ行き、スクールが提供する語学プログラムに参加してTOFELのスコアを達成しました。現地で英語を使わなければいけない状況に放り込まれて勉強すれば「なんだ、どうってことないじゃん、、」というのが学びでした。僕は、学生時代にヨーロッパとシンガポールに英語が話せる先輩と旅行に行った程度。さらに旅行中の英語はその先輩におんぶにだっこで。だから、海外で生活する物理的イメージができない僕にとって、テストから入る英語学習はとにかく苦痛だったんですね。。 もう1つのテストにGMATというものがあります。これはビジネススクールを出願する人向けの学力テスト。数学、分析、類推など論理的思考を問うもの。このテストは、思考力と数的処理能力で何とかカバーできるので、ギリギリ最低点650点を採れました。得手不得手って本当にありますね、特に、僕の場合はテストでそれがはっきり出ます。ちなみに、エッセイやインタビュー(電話でやります)は全く問題ないです。楽しくできちゃう。 ビジネススクールは、 Hult International Business School へ行くこと決めました。Hultは、5つの理由で僕にはリーズナブルな学校でした。まず、1年制で学費が安い(2年制の約6割の費用で済む)次に、授業が超過密(1日に最大3コマ=6時間+グループワーク3時間、頭フル回転)3点目は、日本人が完全マイノリティ(日本人6名/全学生280名)あとは、とにかくダイバーシティ(280名 from 60か国!世界各国に卒業生)です。 (以下にも詳しくまとめています。僕らが当時、新入生のオリエン向けに作った資料です。) orientation-presentaion-may-31st-final.pdf これら4つの理由から、Hultなら英語が話せるようになるだけでなく、日本だろうとそれ以外の国であろうと世界で生き抜くための普遍的なタフさとダイバーシティある思考が身に付くだろうと。これは「くるたのしい」理論です。 5つ目の理由は、学校にベンチャースピリットを感じたからです。僕はTOFELのスコアメイクがぎりぎりでしたし、GMATもトップスクールのスコアには届いていません。ただ、幸い日本の場合、トップスクール以外のMBAに対する評価に大差はありません(実力さえあれば) 。その点、Hultは他校と差別化するための多くの挑戦をしていていましたから、これから知名度は上がるだろうと。学校の成長可能性に僕は賭けました。 Hultは、2003年、スウェーデンの教育機関であるEF Education Firstが世界最初の経営戦略コンサルティング・ファーム Arthur D. Little(ADL) のビジネススクールを買収してできたユニーク特徴を持つ学校です。キャンパスは6つ:ボストン・ニューヨーク・サンフランシスコ・ロンドン・ドバイ・上海。ADLの現役コンサルタントが授業を行う。とにかくグループワークが多い(キャンパスはスタートアップのオフィスみたいでチームでディスカッションをする部屋が多数あります)など。 つい先日、EconomistのMBAランキングが発表されました。 Which MBA? | The Economist Which MBA? is a business education brand from The Economist,whichmba.economist.com その中で、HultのMBAはなんと世界で第15位にランクイン。大きく躍進しました。 2016年 60位 2017年 54位 2018年 43位 2019年 38位 2021年 15位 特に以下が1位であることは、先述した僕のHultを選んだ理由「ダイバーシティ」が高評価いただいていてとても嬉しいです。 1位 生徒と教授のダイバーシティ 1位 海外の卒業生ネットワーク 以下に日本人の同窓会のサイトがありますので、興味をお持ちになった方はぜひご覧ください。私への直接のお問い合わせも勿論ウェルカムです! Hult同窓会日本支部|MBA/MSc留学をアメリカ/イギリス/中国/ドバイで | Hult Alumni Association Japan ChapterHult同窓会日本支部 MBA/Msc留学をアメリカ/イギリス/中国/ドバイで | Hult Alumni Association Japan C hultalumni.jp あと、ちょうど良いので調べたところ、最近のものだと、以下卒業生が書かれた記事にもHultの特徴がそのままに分かりやすく書かれていて素敵です。ご本人にはお伝えしていませんが紹介しちゃいます(笑) 【中編】「海外のMBAに通い、チームを結成して起業する!」パシャデリックCEO山村健児×中村あきら対談 ユーザー数10万人。世界数十か国に展開する絶景写真共有サイト「パシャデリック(pashadelic)」山村けんじさん。山村 www.akiradrive.com 私の通うビジネススクール Hult International Business School について - INOSHIRU こんにちは。現在ボストンに留学中の村上です。 去年に医学部を休学し、経営大学院に留学しています。 よく何しに行 …inoshiru.com というわけで、今日は、留学前の出来事と僕が愛する母校の1つHultのご紹介でした。ではまた明日に~。 >次回はこちら

#004 くるたのしさを求めて

おはようございます、4日目です。 昨日は脱線してオフィス紹介でしたが、今日は朝から打ち合わせでそのまま外出なので、間髪入れずに自己紹介のつづきです。 2007年、僕は「くるたのしい」経験を求めて27歳でSMBC日興証券の投資銀行部門へ転職しました。仕事は本当に楽しかったです。苦しい局面も多かったけど、自分の限界を超えて視界が突然広けた瞬間が何度もあった時期です。 今だったら労働衛生上、絶対に許されないでしょうが、、とにかく狂ったように働きました。新丸ビルのオフィスで、朝5時まで大量のパワポとエクセルのおばけを作り、資料を印刷・バインディングして、池之端の自宅へシャワーを浴びに1時間だけ帰宅。そのまま上野駅から東京駅へ行き、新幹線に飛び乗り、プレゼンを車内でぶつぶつ暗唱しながら練習して、携帯アラームを30分後にかけ、寝てすぐ起きて、新大阪駅で降りてお客様を往訪する、とか。…今考えると頭おかしいのですが、僕だけでなくチームメンバー全員がそんな働き方をしていました。 幸いだったことは、当時はまだ昔の古き良き証券カルチャーが残っていて、数字に強く、弁が立って、手が動き(=良い資料が書けて)、フットワークが軽い人間には次から次へと仕事が来ました。そこには年功序列は一切なく、バンカーやRM(法人営業部門)、支店長から「こいつは面白い提案をする奴」と見込まれれば、年齢にかかわらず、客先に連れて行ってもらえました。例え20代でも、上場企業の社長の前で話すこともあります。お客様が喜ぶなら形式なんて問わない。証券会社にはそういう風土があります。 (余談ですが、提案に対してお客様に喜ばれたときは「刺さった」と言います。「今日の提案はお客さんに刺さったね。」とか。なんと恐い表現ですけど。) そう、とにかく、くるたのしかったのです。この時期の話をするとまた長くなってしまうので、それはまた後ほど。 ところが、日興で働き始めて4年が過ぎたころ、突然、僕は米国へ留学しようと決心します。理由は至ってあまのじゃく。仕事にも慣れてきた。でもこのままだとありきたりな社内競争に巻き込まれそう。だから、ポジショニングを抜本的に見直さないといけない、そう思ったためです。キャリアに対する自我が芽生えていました。 その背景には、当時、M&Aアドバイザリーの事業環境が大きく変化していたこともありました。2008年のリーマンショックと2011年の東日本大震災で、日本のM&A市場は急速にグローバル化が進みます。国内案件が激減する一方で、海外案件、特に「IN-OUT」と言う、医薬・食品など内需型の成熟産業の日本企業が、グローバル化のために海外企業を買収する案件が急増します。 (グラフで見るとこんな感じです。僕が日興に在籍したのが2007年-2012年が赤枠です。この間、総件数は2008年以降にガクンと減少、でも、黄色のIN-OUTの案件数は増え、全体に占める割合も急伸しています。) Source: MARRオンライン [M&Aスクランブル] (2015/01/07) そういった変化に合わせて、どの証券会社も銀行も「グローバル化」を経営戦略のスローガンに掲げ始めます。(まぁ、日系金融機関は「グローバル化」ってずっと言ってるんですけどね、うまくいかない。)例えば日興でも、課長職以上はTOEIC650点以上のスコアメイクが必須になったり、僕の同僚の多くは海外支店で働くために英語を猛烈に勉強し始めます。 (そういえば、業界は違えど僕がいた楽天が英語公用語化を掲げたのも2010年。) Rakuten Today: Englishnization rakuten.today でも、日系証券会社の内実はどうかと言えば、、多くのグローバルなM&A案件では、バルジと呼ばれる外資系金融機関(ゴールドマンサックス、ドイツ証券など)がアドバイザー業務を勝ち取ります。案件の数、ディールサイズともに、日系は外資の足元にも及ばないのです。例えば、当時のグローバルリーグテーブル(M&Aアドバイザリーのランキング)を見ますと、日系では野村證券が9位にランクインするのみです。 Source: Bloomberg -GLOBAL FINANCIAL ADVISORY MERGERS & ACQUISITIONS RANKINGS Q1 2012 つまり、日系証券会社の海外支店で働いたとて、その仕事は、国内で成約された案件に対して海外で”調整”を行う所謂、現地駐在員のようなものでした(今は分かりませんが)さらに若手は人事ローテーションがありますから、最短1年で帰国。英語がすこし流暢になって、現地のレストランに詳しくなって、社内キャリアにちょっと箔(はく)を付けて、はい帰国。 ちなみに当時の僕は英語が全く話せずTOEICも450点とか散々なレベルでした。それでも周りに感化されてベルリッツに通ったり参考書を読んで勉強をするわけです。ただ僕は、そういう同じレールの上での社内競争はどうも苦手で、すぐに飽きてしまう。僕より賢い人たちはたくさんいますから。もっと自分らしく競争したくなる。 「さぁ、どうしたものかな。楽しくないな。」と思っているとき、急な人事異動が発令されます。 2010年秋口に突然、僕は、日興の常務(今はベインキャピタルにいらっしゃる大和田さん)に呼ばれまして、投資銀行部門の特命チームにアサインされました。こういう出来事ってなぜかいつも急に来るんです。本当に他力な人生なんです。 ミッションは簡単に言うとリストラ。当時、日興の親会社はシティグループからSMBCへ変わり、それに伴い、日興・SMBC・大和証券SMBC(大和証券とSMBCとの提携解消によるの帰還組)の投資銀行部門は統合。M&Aに関わる社員は総勢160名まで膨れ上がっていて、ヒト、カネ、システムをリストラクチャリングすることが特命チームのミッションでした。 そして、このチームメンバーとして機密性が高い情報を扱うプロジェクトに関わる中で、銀行傘下となった証券会社が置かれた状況、3-5年カ年の経営計画、リストラの目標、3者の入り組んだ人事制度などなど、、内実がとても赤裸々に見えました(『半沢直樹』は見たことないので分からないのですが、おそらくそれに似たような話です。事実は小説より奇なりですが。。) そこで僕は、奥さんへ前回の転職時と同じく唐突に相談します。「もう金融はいいや。英語全く話せないんだけど、猛勉強してMBAを取りに行きたい。」と。IT、財務ときたらその先はもうMBAしかない、という単純な発想です。また、英語しか話せない環境にポツンと身を置けば、会社の1年間のローテーション人事よりも短期間で戦闘力の高い英語が話せるようになるだろう。食いっぱぐれやしないだろうと。 前回の転職時に同じくその時の僕の奥さんの返答もさすがでした。「あなた31歳でしょ。35歳になる前に挑戦しておいた方がいいわ。35歳を超えるとキャリアチェンジはしづらくなる。今、円高よ、学費も30%くらい安く済むから。」どーんと、エコノミストらしい相場見通しも混じえた返答。夫婦会議はすんなり終了です。 (確かに、2011-2012年は超円高で1ドル76-78円。その翌年2013年にはアベノミクスで100円を超えました。) •••そんなわけで、ここまでは証券会社を辞めて留学を決めたというお話でした。あぁ、留学中の1年半の話になかなか到達しない。。今日は書きすぎだな、、息切れしている。ではみなさま、ごきげんよう。 >次回はこちら