スタッフノート

服の不自由に寄り添うなかでの気づきや新たな考え。そして、具体的な調査や取り組み内容など、ケアウィルのスタッフが日々綴っていきます。

#多様性

初めまして。carewill新広報担当のまるです。

みなさまはじめまして。 いっちーさんから引き継ぎ、新しくcarewillの広報担当になりました、市丸奈津美と申します。周りからは、「まるちゃん!」と呼ばれているので、それで覚えていただけると嬉しいです。 市丸の「まる」なのですが、見た目も丸いので、リアルに会う方には見た目からのあだ名だとよく間違われます。SNSに出すプロフィール写真はだいたい厳選した写真がでているので、実際はみなさまの想像よりまるいし、小さいです(身長150cm)。 今日は初めてのnoteなので、何を書こうか迷ったのですが、私の自己紹介をさせてください。 生まれ育ちは佐賀県唐津市 私は佐賀県の唐津市という、海に面した田舎町の出身です。小さい頃から、素潜りをしたり、カヤックをしたり、海遊びばかりをして育ちました。少し大きくなってからはサーフィンやダイビングにもはまり、完全に海っこです。やんちゃな家族や友人の中で育ちましたが、なぜかちゃんと大学に行こうとずっと思っており、物理的に一番近い大学、九州大学の医学部保健学科看護学専攻へと入学しました。 夢のキャンパスライフとは程遠い看護学生時代 高校生までは「大学生になる」ことを目標とし、必死で勉強し、厳しい受験を乗り越えて、大学生の切符を手に入れました。 私が想像していたのは、オレンジデイズのような、きゃぴきゃぴわいわいなキャンパスライフだったのですが、看護学科はそんな生活とは程遠い4年間でした、、 他学部は2年かけて履修する教養科目を、看護学科だけでは1年で履修せねばならず、授業つめつめの1年生。 他学部とは異なる、大学病院附属の薄汚い校舎に移動し、週24コマ、座学を詰め込まれた2年生。 大学病院や、地域の病院、保健所etc...あらゆるところに実習に出され、寝る間も惜しんでレポートを書いた3年生。 卒業研究と国家試験(看護師と保健師のダブル受験)の勉強に追われた4年生。 なんだかよくわからんままに4年間があっという間に終わりました。あああ、私の夢のキャンパスライフは何処へ、、 看護師にならなかった社会人生活 こんなに苦労をして取得した、看護師と保健師の免許。しかし、私は看護師にはなりませんでした。それにはたくさんの理由があります。苦しい葛藤と、親の反対、大学の先生とのバトル、たくさんのドラマがありましたが、その中の一つの理由に、「自分の人間としての未熟さを感じ、看護師にはなれないと思った」が挙げられます。 患者さんへの「受容と共感」が求められる看護の世界。私は実習でたくさんの患者さんと関わる中で、薄っぺらい受容と共感しかできませんでした。 看護師は、患者さんの体やメンタルの状態、患っている病気への想い、これからの治療の方針や、病気と一緒に生きていく中で何を大切にしたいか、などなどたくさんの情報を収集して、それに応じたコミュニケーションをとっていかなければなりません。 患者さんからそんな話を聞いている中で、二十歳そこそこだった私は、「へぇ〜そうなんですね。辛いですね。」というぺらっぺらな言葉しかかけられなかったのです。会話をしながら、患者さんに申し訳なくて、そんな自分は看護師にはなれないなと思いました。そしてそれは何故かと考えた時、自分には人生経験が足りないことに気づきました。 例えば、仕事中心で生きてきたのに、急に病気で仕事ができなくなった。という患者さん。その大切にしてきたことを尊重して、話をしたり、治療方針を考えないといけないけど、一度も社会に出たことがない私には想像もつきませんでした。 その時、「あ、私はまだまだ未熟だから看護師になれない。なるのであれば、もっと人生経験を積んで、あらゆる患者さんに心から寄り添えるようになったら看護師になろう」と決めました。 一般就職して3社を経験 大学4年生のときに、看護師にならないと決め、一般就職するために就活をはじめました。しかし、実習に追われていた私が就活を意識したときには、すでにみんな就活を終えている時期で そんな私を拾ってくれたのが「ケンコーコム」という医薬品を扱うECの会社でした。詳細は省略しますが、ここで死ぬほど鍛えられ、当時私を育ててくれた上司が代表の笈沼でした。 その後、リクルートキャリアへ転職し、社会人の青春を謳歌。3年勤めたあと、WeWorkへ転職し、アメリカ発のシェアオフィス、福岡拠点立ち上げを経験。2年半勤め、フリーランスとして独立し、現在にいたります。 誰かに寄り添える人になるために 現在はフリーランスとして、carewillを始め、複数社でデザイナーや広報、プロジェクトマネージャーなどの役割を担っています。 今は「何をやっているの?」と聞かれると、「なんでも屋!」としか言いようがないので、自身のブランディングはこれから頑張っていこうと思っています。 この先の人生、看護師になるかどうかはまだわかりませんが、たくさんの経験をして、あらゆる人に共感できる力を身につけ、困っている人や悩んでる人に寄り添える人になることが私の目標です。 これからどんどん私からcarewillのことを発信できればと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
初めまして。carewill新広報担当のまるです。

「多様性」を大切にしてこられた着用モニターの寺田雅美さんが考えるcarewillの本質的な価値や将来への期待とは

SNSでシェアされた情報を見てcarewillについて知っていただいた寺田雅美さんは、過去のご自身の服の不自由の経験からの気づきなどを着用ヒアリングで提供してくだっています。そんな寺田さんは、島根県隠岐諸島にある海士町(あまちょう)と東京の二箇所を拠点に仕事と生活をされています。 寺田さんに、ご自身の服の不自由のご経験やcarewillについての気づきや思い、そしてご自身の価値観や隠岐・海士町と東京の二拠点生活について詳しくお話しを伺いました。今回は第二回、過去に起業支援をされていたこともある寺田さんからご覧になられたcarewillについてのお話しです。 前回はご自身の服の不自由のご経験や気づきについて伺いました。 そちらもぜひお読みください。 寺田雅美氏 海士町×東京の2拠点暮らし。隠岐ユネスコ世界ジオパークにおける「海士町ジオ魅力化コーディネーター」として、ホテル×ジオパーク拠点複合施設「Entô」の設立・運営、「後鳥羽院顕彰事業」文化事業等に携わる。ほか、科学者×社会起業家らの共創による社会実装へむけた場の設計などの科学コミュニケーション活動や起業支援など。 キーワード:サイエンス×アート、「センス・オブ・ワンダー」(レイチェル カーソン)、大自然や私たちの暮らしにひそむ様々な「まなざし」 Entô(エントウ) |隠岐ユネスコ世界ジオパーク 泊まれる拠点 島根半島から北へ約80km。隠岐諸島海士町、隠岐ユネスコ世界ジオパークの泊まれる拠点施設Entô(エントウ)の公式サイトで ento-oki.jp 寺田さんの価値観や行動の全ての根底にある「多様性」への想い ーーこれまでの多岐にわたるキャリアの中に共通している、寺田さんが大切にされていること、価値観を教えてください。 寺田さん:大切にしているのは「多様性」です。 ーーもともと生き物を研究されていらっしゃったので「多様性」ですか? 寺田さん:よくご存知ですね。「多様性」への関心の個人的な原点は、96歳まで介護していた祖母が日系アメリカ人で、アメリカ生まれ・育ち、祖父との縁で日本へ越してきました。来日以降に私が生まれ、東京の実家で私は彼女とずっと一緒に暮らしていました。実は彼女は私が生まれた年に後天的な事情で耳が聞こえなくなった人でもあり、そんな分かりやすい「違い」が、当たり前に身近にある環境で育ち、「多様性」への想像力をはぐくんだと感じています。 たとえば、今こうして取材を通て話している私たちも、お互いに実は「異文化」なわけですが、同じ日本人、言語もたやすく通じてしまうだけに、暗黙のうちに「わかりあえる」と思い込んでしまっている面があろうかと思います。私にとっては、祖母がわかりやすい「異文化」として身近に存在していたことから、目の前の人が持っているバックグラウンド(背景)をいつも想像したり、聞いてみることを大事にしています。 また、自分と相手の他にも、世界中にはどんなバックグラウンドが存在しているのか、という思考を自然にしています。そうした原体験も手伝って、学生の頃「進化発生生物学」を研究していました。ちょうど大学に入るタイミングが、DNAの情報を読み取れるようになった時期で、「生き物の発生過程を、生き物同士の見た目の比較だけではなくゲノム情報での比較によって、さまざまな生きものの進化、つながりについて研究していました。この学問がとても面白くて、研究者になることも考えましたが、自分の特性として先ほどお話ししたとおり、「じゃぁ他には?」と広げていくタイプなので、研究者ではなく世界の「まなざし」を伝える仕事をすることにしました。 まず、屋外のフィールドを選び、八ヶ岳でネイチャーガイドの仕事、その後は科学技術館や科学未来館で科学コミュニケーターをしていました。その後、企業や行政の方が立場や組織を超えて対話していくことで未来の新しいことを見つけていくコンサルの手法としてフューチャーセッションを提供する企業で社会人インターンとしてお世話になりました。以降、再び自然の現場に関わる一方で、起業支援の仕事をしながら、ライフステージの変化(結婚)に伴い島根県の隠岐(海士町)に2年前に来て、現在に至ります。企業の皆様とのフューチャーセッション、屋外の国立公園・国定公園や室内のミュージアム「場づくり」がこれまでの仕事の共通点です。多様な価値観や世界の中にある「まなざし」が出会う、交差する場づくりが好きなことで、これまで仕事として関わってきたことの軸だと考えています。 起業支援施設Startup Hub Tokyoでプランナーとして仕事をしていたのも、背景には自分自身が起業し、個人事業主として仕事をしたいと考えていたことがあります。いろいろな事業をされている方々と出会い、起業したいと考えている方に起業家の方を紹介する場を作る仕事をしていました。自分にとっての「当たり前」は周りの人にとっての「当たり前」ではない、その視点に立つと世の中は「知らないこと」だらけですので、それをなるべくたくさん知りたいし、せっかくなので掛け算が起きて、みんなにとってワクワクする挑戦ができるといいなと考えています。科学も私にとっては「世界のまなざし」だという認識です。ちなみにこの「みんな」には私自身のことももちろん含みます。 チームで成果を出すために大切にしていること ーー現在フリーランスとしてお仕事されていらっしゃいます。多くの企業、個人の方とチームを組んで仕事をする、成果を出すために大切にされていることは何ですか。 寺田さん:自問自答の日々ですが、一つ言えるとすると「タイミングを逃さない」ことです。それぞれのステークホルダーがいて、しなければならないタスクが色々とみんなの真ん中にあるときに、そのタスクが、立場やコミットメントの違いから見えている、見えていないってありますよね。それは大前提です、違いがないことはありえない。そのため、タイミングを逃さないことを大切にしています。できる時と、できない時がありますが。 ーー今のお話しも「多様性」に起点があるのかなと。寺田さんは相手から見えているものは異なるということを理解した上でコミュニケーションをされていることが印象的です。 寺田さん:確かに。多様性からきていますね。ステークホルダーが多いとなおのことそうですよね。 寺田さんからみたcarewillの印象とは ーー前職で起業家を支援し、伴走されていらした寺田さんからご覧になられて、carewill、起業家としての笈沼さんについてどんな印象でしょうか。 寺田さん:笈沼さんはもともとJINSに在籍され、マーケットを読むプロフェッショナルでいらっしゃったとのこと。そこから、扱われるものはメガネからケア衣料へと変われど、機能面はもちろん追及しながらもそこに寄せすぎないで、暮らしにおける愉しみとのバランスをよく組み込まれた製品開発や事業展開をされていくのだろうな、色々な方のニーズに応える、新しい世界に誘ってくれるブランドを作っていかれるのだろうなとワクワク想像しています。 誰しも、人生のどのフェーズで何かの病気の当事者になるかもしれませんし、服の不自由を経験することになるかもしれません。もし自分はそうならないと思っていても、誰もがなる可能性があると思うのです。「care」の本質的な意味には、実際そのタイミングで何か病を患っているかどうかに限らずに、人生におけるひとりひとりの「will」に伴走したいという想いが根底にあることを感じています。だからこそ、ユーザー一人一人がその想いののった服を着て街を歩くだけで、「生きる」ことを応援し合えるアイコン、メディアにも衣服がなれるような、そんな製品が作られていくのだろうなと期待しています。 ーーこれまでのcarewillとのやりとりで、どんな気づきや感想がありましたか。 寺田さん:まず、社名が素敵だと思いました。知り合いではない方々の取り組みに「出会う」ことができてありがたいと思っています。みなさんの本気の部分が伝わってきて、リスペクトしています。タイミングやご縁ってあるのだなぁとも思いました。おそらく、創業された当時は「原体験」からのスタートでいらして、現在は具体的な事業化に向けて試行錯誤して走りながら取り組んでいらっしゃるフェーズなのだな、とその勢いと可能性にワクワクしています。 自分が肩をいため、まさに治療中というタイミングで、投稿を通じて長嶋さんを知り、carewillのこと、みなさんのことを知る中で、治療期間に着る服、というよりも、治療期間をともにした相棒という存在として、本人や誰かを元気付けるのではないかと感じました。 3回目のヒアリングで送っていただいたトワルで、肩を固定するマジックテープ付きの服がありましたよね。肩を固定する部分がそれぞれのユーザーにとって必要かつ心地よい部分へアジャスト可能、自分仕様にカスタマイズできるという点で、ケア衣料側面として大事な機能であり、ユーザーにとって心強いものになると当事者として感じました。 ヒアリング時に笈沼さんにも伝えましたが、その物理的に支える部分が遊び心のある差し色にもなっているなどすれば、デザイン性としても面白いのではないかとも想像しました。ほかにも、たとえばcarewillの社名が入ったタグや、何か治療途上の人にエールを送れるようなメッセージが書いてあると、「相棒」感が生まれ着ることが励みになり、楽しそうです。 ーーもしかして、甲状腺の手術後に首を巻いて守っていたもの(第一回記事参照)もまだお手元に残っていらっしゃるのですか。 寺田さん:はい、残っています。最近は身につけていませんでしたが、またつけてみたいなと今思いました。あれは確実に自分の相棒でしたから。これからも、たとえば夏に日焼け対策としてつけたいですね。 ーー今後のcarewillに期待していることや、社会に対してcarewillが創出していける価値についてお聞かせください。 寺田さん:現在、男女ともに働く社会にもかかわらず、認識には地域によって差があるのが現実です。私の両親は60代後半、これまでならば60歳ないし65歳で退職、その後は「余生」を生きる価値観が当たり前と考えられていました。 現在では「人生100年時代」、60代からの新しいキャリア・新しい生き方、日常をという流れになっています。その「日常」を心身ともに支えてくれる服があったら嬉しいと思います。以前、運営に携わっていたアクティブシニアの皆さん向けの生涯学習講座の場でのことです。長年「企業戦士」でいらした男性の中に、スーツを着て闊歩していた40年間と比べて、散歩・同好会・生涯学習講座に参加する日常になってから「今まで着たかったけれども仕事が休みのときにしか着られなかった服を着られるようになった」、「何を着ていいかわからなくて、そんな自分そして日常生活に慣れるまでに年数が必要だった」とおっしゃられていた方もいらっしゃいました。ライフステージの変化、日常のライフシーンの変化のタイミングに寄り添うかたちで、自信を持って「着たい」と思え服が増えていくと嬉しいです。 年代や加齢による体型の変化、身体の変化によっても、着られる服は変化していきますよね。そんな小さな変化が服のストレスにならないような、さりげなく寄り添える服をcarewillが作っていけるといいな、とお話しを聞いていて思いました。ありがとうございました。最終回では、現在お住まいの島根県隠岐地方(海士町)や、二拠点生活について伺います。
「多様性」を大切にしてこられた着用モニターの寺田雅美さんが考えるcarewillの本質的な価値や将来への期待とは